米子市音楽祭のお知らせ

バンド「なんぼなんでも」
05 /31 2007
 忘れた頃にやってくるのが車の不調。ファーレンに出してもらった見積もり額は、驚愕の25万円だ(!)一年半前の車検では36万円(!)楽器が2本買える金額を車ごときに出せというのか。しかも来年3月にまた車検だ(!)ちょっとなんぼなんでもである。


 お知らせ
 

「なんぼ」と出たところで6月9日(土)夜に迫った米子市音楽祭のお知らせです。「なんぼなんでも」は当日「JAZZ MINORITY(ジャズ・マイノリティ)」という名で出演します(バンド名申告をミスった。昨年もミスった・・というよりも申請の際に何も言わないと「昨年通り」になるようだ)。


 「JAZZ MINORITY」の名称は「なんぼ」のピアニストが市音に出る際に使っていたバンド名で、「なんぼ」ではありませんが、メンバー自体は「なんぼ」と同一です。という訳で今回は飽くまでも「なんぼなんでも」のステージと思って頂ければ結構です。


 早いもので本番まであと約一週間程度。そういえば昨年「なんぼ」で出演した時にはヴォーカルもいました。今回はヴォーカル無しでメンツも一新、レパートリーも一新してステージに臨みます。久々の米子でのステージとあって、メンバー一同気合を入れて演奏します。是非聴きにきてみて下さい。場所は米子市文化ホールです。



「なんぼなんでもHP」更新しました。
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大阪の熱いJAZZ NIGHT②

ジャズ
05 /29 2007
 大阪がローカルだということを如実に示す例として、楽器店の少なさが挙げられる。中古楽器店も含めて、東京の圧倒的な物量と比べると、いかにも寂しい。それだけ今の日本は東京に一極集中している訳だが・・


 大阪の楽器店といえばミナミの「三木楽器」「ミュージックライフTAO」(中古楽器)、「ビーフラット・ミュージック」(主にマウスピース)、キタの「ドルチェ楽器」ぐらいしか思い付かない。東京ではすぐに思い浮かぶ店だけでも「山野楽器」「ウインドクルー」「石森管楽器」「DAC」「THE中古楽器屋」「黒澤楽器」「イシバシ」「ドルチェ」「シアズ」「ザイレム」「TAO東京店」「弦楽器の山本」「ヤマハ各店舗」などがある。


 ジャズNIGHT2日目はキタのとあるジャズ・バー。女性2人のフロント(asとtp)にピアノ・トリオのクインテットでバップを演奏するバンドだった。最初、ピアノの方のジャズ教室の生徒さんバンドかと思ったが、関西大学ジャズ研の方々とプロの方の混成バンドであることが後に判明した。私が着いたのは2ステージからで、ちょうど「コンファメーション」の途中だった。「なんぼ」同様、トランペッターが女性なので何だか感動。女性の感性でトランペットを吹くとどうなるか、そこに興味がある。フレディ・ハバードみたいに吹かれたら逆に引くだろうな。


 この女流トランペッター氏、アンコールの「セントトーマス」のソロの途中でバテのため音が出なくなってしまった。このつらさはよく分かる。2ステージフルに演奏することは、トランペッターにとっては決して楽なことではない。で、音が出なくなってどうしたか。何と、スキャットを始めたのだ(!)う~ん、参った(笑)普通アドリブを途中で切り上げてもよさそうなものだが、まさか歌に走るとは。驚きだ。


 その理由が、ジャズNIGHT3日目に判明するのだ。


 3日目、地下鉄を降りたらすぐのジャズ・バー「SUB」に行く。トランペッター唐口一之氏のクインテットを聴くためだ。するとどうだろう。この店のカウンターの中に居る若者は、ジャズNIGHT2日目のドラマーであるし、女流トランペッター氏も居るではないか。聞くと明日がK西大学の卒業式だと言われる。なるほど。卒業記念ライブだった訳だ。それは中途半端にアドリブを終えたくないよな。スキャットに走ったのも納得。


 ほかにも先日同様「ジャズやねん関西」を主宰する人と知人の女性も居て、案外とつながっている大阪ジャズシーンを実感した。実情はよく分からないけど。


 それにしても凄かったのが唐口氏のトランペットだ。とにかく流暢。日本人には珍しいタイプだと思う。滅茶苦茶テクニシャン。全盛期のケニー・ドーハムみたいだ。「呼吸法はどうすればいいんですか?」とライブがはねた後に訊いてみた。曰く「息を吸わないのが正解。きちんと吐けば必ずきちんと吸う」とのこと。


 「SUB」のオーナーは大阪ジャズ界の重鎮・西山満(b)氏である。「コンファメーション」を演奏する際のMCで「この曲はチャーリー・パーカーのブルースや。みんなAA‘BA’‘で演奏するけどやな。ブルースなんねん。せやからブルースの魂で演奏せなあかんねん」と説明。凄い。こんな格好いいMC、聞いたことない!


 大阪の熱いジャズNIGHTは熱さの余韻を残して更けていった・・・

大阪の熱いJAZZ NIGHT①

ジャズ
05 /27 2007
 だいたい三ヶ月に一回ぐらいのペースで一週間の日程で大阪に出張があって、信じられないことだが、宿代込みで一日3000円しか出張費が出ない。要するに外泊はするなと(笑)タコ部屋に泊まれと。一世紀前のイギリスの炭鉱並みに劣悪な労働条件で、頑張ろうという気には、普通ならないだろう。だが私は現地で頑張っている。ジャズを。


 一週間楽器に触れないなど当然の如く考えられないので、楽器は持参する。でも練習場所がないので、もっぱら練習は楽器店でやっている。マウスピースだけ持って行って、2、3本試奏するついでに練習もしてしまおうという寸法だ。お店には悪いが、背に腹は代えられない。色々な楽器が吹けるので、これはこれで結構楽しい。


 夜はひたすらジャズ・バー巡りに耽る。あらかじめ「ジャズやねん関西」でトランペッターのライブ・スケジュールをチェックした上で、大阪ジャズ行脚をする。3月は幸いというか困るというか、一週間の間に、田中洋一氏、広瀬未来氏、唐口一之氏、市原ひかり氏のライブが目白押しだった。後、セント・ジェームズ、ジャズ・オン・トップのセッション・デーもあり、悩ましいぐらいの充実ぶりだった。



 初日は広瀬未来氏のライブに行く。10人入れば満員になりそうな地下の喫茶店でのライブ。1m前にトランペットのベルがくるぐらいでGoodだ。一度広瀬氏を聴いてみたかった。曰く「日本人離れした逸材」「和製テレンス・ブランチャード(!)」。そう言われたら何が何でも聴いてみたい。2週間前から予約して行った。


 ライブの途中から入ったが、演っていた曲がちょうどサム・リバースの「ベアトリス」。私のレパートリーでもある(笑)エレピとベースのトリオの編成だ。嬉し過ぎる。トランペットの音を身体全体で浴びて、それもベアトリス。きれいな音が気持ちいい。間近で聴いているのにうるさくないのだ。それにしても「ベアトリス」を皮切りに「ザッツ・オール」「ユー・ステップト・アウト・オブ・ア・ドリーム」など、選曲が無茶苦茶渋い。年齢を尋ねたところ、若干23歳ということだが、この選曲は渋い。個人的には好みだ。半分はNY在住ということもあって、何となく外人ミュージシャンが好みそうなレパートリーのような気がした。


 演奏終了後、ちょうど良かったのでジャズのことやトランペットの奏法に関する質問を投げかけてみた。広瀬氏は私の質問に一つずつ丁寧に答えてくれた。凄くいい人である。割と若いミュージシャンに質問すると、適当に答える人が多いんだけど、あまり適当に答えられると腹が立つ。こっちだって真剣に訊いているのだ。かつて「あそこで何でオルタードを使ったんですか?」と訊いて「オルタードってどんなスケールか知らない」などと答えてくれたピアニストが居たけど、そんな訳ないだろう。そんなんでミュージシャンを名乗らないで欲しいぜ。広瀬氏はそんなのとは違う。本物のミュージシャンだった。



 バックのラッカーにバック5C。う~ん、このセッティングであそこまで吹けるとは。ほかにもカデンツァの吹き方など教わった。おまけに打ち上げにまで参加させて頂いて本当に申し訳ない。打ち上げに居合わせた、日本橋の某有名オーディオ店の方が「この前島根にパラゴンを納入しに行きましたよ」と笑っておられた。すげぇ。パラゴンを買う人が隣県に存在するなんて驚きだ(笑) 

とりとめのない「なんぼ」と飲みの話

バンド「なんぼなんでも」
05 /25 2007
以前レストラン「クイーンズ・アームズ」だったところに「葉隠」という店がオープンしていた。名前からして「うどん屋か?」と思っていたのだが、和風ダイニングバーだったのでびっくり。しかもこのメニューはどっかで見たことある。暫く考えると、分かった。稲田屋か??


そう、朝日町の稲田屋と雰囲気の似たメニュー。訊けば稲田屋のスタッフが独立して店を出したのがここらしい。納得。だけど案外いい雰囲気だ。基本的に個室で、私達はカウンターに座ったんだけど、スペースにゆとりがある分、リラックスできるような気がする。ここ一軒で完結するんだったらいいかも知れない。「クイーン」があった頃は、それこそあのタイプのレストランは米子にあまり存在しなかったのでよく通った。夜遅くまで(確か2時?)までオープンしていたというのもあって、若者の聖地でもあった。そういえば老舗の旬菜がなくなっていてびっくりした。


 最近は本当に新しい店が次々とできる。そのぶん消えていく店もあるんだろうな。なんて言ってると行きたくなるのが「ピアノピアノ」だ。個人的に大ファン。前菜からデザートに至るまで、飛び切り美味いと思う。特にもちもちしたパスタ、モッツァレラ・チーズとフルーティなトマトが圧倒的なカプレーゼ、ほどよい甘みのパンナコッタがたまらない。特別な日にはここと決めている。


 で、話は変わるけど、「なんぼ」には、ほぼ定例になった飲み会が年に数回ある。だいたいライブ後とかには反省会を兼ねた食事会(或いは飲み)みたいなことをしているんだけど、忘年会と納涼会は、中でもスペシャルなイベントである。冬は店で、夏はバーベキューなどで盛り上がる訳だが、バンドの飲みは基本的に仕事の話とか組織の話とかが皆無なので楽しい。仕事の話でも、全然違う仕事の話だから、それはそれで面白い。大の大人が銭にならないジャズの話で熱くなる―実にいい光景ではありませんか(笑)


 我々の場合、ジャズが上手くなったところで、それが収入としてはね返ってくる訳じゃない。単なる自己満足と言われればそれまでだが、収入にならないからこそ、よほどの根気がないとジャズなんかできない。よほど好きであるしかない。とりあえず現時点で「なんぼ」は「よほどジャズが好き」な人間の集まりだと思います。ジャズというよりも、音を通じてのコミュニケーションが好きというべきか。なんだかとりとめのない話になってしまった。
  

マイルスの反体制的な格好良さ

ジャズ
05 /23 2007
 NHKのマイルス特集も佳境に差し掛かり、昨夜はサイケデリック・マイルスまできた。来週で終了するそうだ。それにしても・・・マイルスの格好良さは尋常じゃない。


 これはもうむちゃくちゃ独断で反論もあろうが、やはりアーティストは反体制的じゃないとイカンと思う訳です。なんでかと言うとアートというのは精神の解放を武器に宇宙の普遍的な法則を勝ち取る、一種の闘争なんだから、社会の体制とは背反せざるを得ない宿命を負っていると思うからだ。タフじゃないとアーティストが務まらないのは、実にそうした重荷をしょっているからに他ならない。先日も飲みながら話しをしていたが、アーティストと呼ばれる人達が国家の褒章などを喜んで受け取る姿に違和感を覚える。個人の精神の自由を最も嫌う国家から栄誉を称えられて素直になれる人は、もはやアーティストとしての精神を失ってしまっていると言わざるを得ない。


 ジャズは人種差別の賜物、というのは事実だ。差別されたことに対する怒りのパワーが、ジャズの歴史を作ってきたと言っていい。だから、人種差別が沈静化する世の動きに比例して、ジャズは輝きを失っていった。50年代のは白人プレーヤーにしても「ジャズは黒人のもの」という劣等感みたいな意識があって、それ故に、白人ジャズのアイデンティティを熱心に追求していたんだと思う。「ざーけんじゃねえよ」「うるせぇんだよ」といった雰囲気がジャズマンからすっかり無くなってしまったのは寂しい。ジャズの世界だけじゃないけど。

 「ざーけんじゃねぇよ」と叫ぶ人はナンボでもいるんだけど、そのパワーを芸術へと昇華するプロセスに耐えることのできる人は少なくなった。短絡的に犯罪者になってしまうケースが多い。


 
「ワイト島のロックフェスティバルでマイルスが曲を訊かれた時何て言ったと思う?」
 「どうとでも呼びな」と言ったのさ!

 

「 So What(それがどーした)」の他にも必殺技があったとは驚きだ。「どうとでも呼びな」・・痺れる(笑)こんなセリフが絵になるミュージシャンはそうそう居ない。まぁ、セリフだけじゃないけど、ジャズから始まって常に変化し続けたマイルスについては、好き嫌いはともかく、アーティストだな、と思う。


 番組の中でびっくりしたのが突然登場した近藤等則。げー生きとったんかという驚きと、今でもフリー系を演ってる点。しかもビル・ラズウェルとだ。こっちも凄いインパクトを受けた。

「ミラージュ」ライブが終わりました

バンド「なんぼなんでも」
05 /20 2007
5月の定例ライブが終わりました。ご来場頂きましたお客様、遠いところを本当に有難うございました。

 という訳で、今月も終わってしまいました。メンバー各自のリズムが弱い点など課題も浮き彫りになったけど、やれる精一杯のことはやったつもりです。「なんぼ」としてはとにかくベストを尽くすことでお客様に報いるしかないと考えています。


 ところで、今回のライブの際に、現在の「なんぼ」のメンバーがどうやって知り合ったのかという質問が寄せられたので、そのあたりのいきさつについてちょっと書いてみます。確かに年齢もばらばらだし、何故?と思われるのも、もっともでしょう。


 私と田中啓三、しみずりえはもともと「ジャズ三人どうし」からの付き合いでした。そこに岡雄一が加入。当初は「境港市文化ホールのサロンコンサートだけなら」との話でしたが、だいたいバンドなんて一度引っ張ってきたら二度と離さないようなところがありますし(笑)そのままなしくずし的に正式メンバーとなりました。だいたいいきなりウエイン・ショーターの曲をやらされるなんて、災難ですね。それでもやっちゃうんだから凄い。まぁやっぱり何十年とみっちりジャズを聴いてきた下地があるんでしょうねー


 アルト・サックスの広瀬謙一は、田中啓三の知人です。最初の市音ではフルートを吹いていたんですが、その後はアルト・サックスがメイン楽器になりました。とはいえ、テナー、ソプラノ、バスクラリネットの木管系はもちろん、金管も吹きこなすマルチ・プレーヤーで、自分で楽器を制作してしまうような人です。いやーちょっと居ないですね、こういう人は。


ベースの松井英樹はNYからスカウトしてきました。いやいや、いつもこればっかり言っていい加減に怒られそうなんですが、田中啓三が声を掛けて3月のステージから「なんぼ」に参加してもらっています。実は私も数年前に同じビッグバンドに所属していたんですよね。ジャズの世界は狭いですからね~


 飯田恭之は、某楽器店の貼り紙を見て「なんぼ」に参加した異色の経歴の持ち主です。それまでヘヴィー・メタルを普通の服を着てやっていたというから、これもまた異色。ヘヴィメタからジャズに転身した人って、山陰では聞いたことないですね。しかもテクニシャン。こんなドラマーが居たとは、この世界も狭いようで広いのかも。


 と、こんな感じで集まったメンバーです。年齢も職業もばらばらですが、何の縁か同じバンドで演奏しています。このメンツになってからはまだ二ヶ月しか経ってないので、これからの展開が楽しみですね。今後も応援してやって下さい。ご来場頂いたお客様、本当に有難うございました。

ライブ告知です

バンド「なんぼなんでも」
05 /19 2007
 いよいよ明日、というか今日、月一定例の境港「ミラージュ」ライブの日だ。思えばオープンしたのが去年の6月だから、なーんと、一年が過ぎたことになる。凄い。オープン準備段階から首を突っ込んできただけに感慨はある。オープン一周年、なんて多分ないんだろうけど(苦笑)今回はやはり4管でジャズのスタンダードからパット・メセニー、デイヴ・グルーシンなど新しめの曲までやります。ご都合がよろしければ是非聴きにきてやって下さい。(「夢みなとタワーミラージュ」)ちなみに6月9日夜、米子市音楽祭のジャズの部にも出演しますので、そちらも是非。

 それにしても、あっという間にライブ当日を迎えてしまう。個人的には4年ぐらい前までは月二とか月三でライブをしていたんだから月一ぐらいと思っていたが、結構これが慌しい。じっくりと腰を据えた音楽をやりたいな、と思う。とにかくその時のステージをメンバー一同全力で演奏します。

沖縄の熱い夜②

ジャズ
05 /17 2007
 ジャズ・スポット「寓話」は階段を上がった二階にある。区切られたフロアの奥の方にグランドピアノがでんと鎮座し、ここでレギュラーバンドが毎晩日替わりで演奏を繰り広げる。この日は店のオーナー屋良文雄氏のレギュラー・トリオと演らせて頂いた。初めて合わせる時って緊張する。どんな技が得意なのか、或いはどんな癖があるのか。どんな展開になるかはまったく分からない。とにかくカウント後の一音が放たれた瞬間、もう後戻りはできない。「やめとけばよかった」と後悔する瞬間でもある(笑)


 「酒とバラの日々」「ミスティー」「ブルース」「グリーンドルフィン」など6~7曲を演る。途中、ミスティのコードを確認しようと譜面を見ようと思ったら屋良氏に睨まれたのでやめた。やはりスタンダードは暗譜しておかないと駄目だな。それにしても凄いトリオだ。オーソドックスに始まったかと思えば、途中から徐々にトリッキーなコードが混じりだす。リズムも前ノリ、後ノリのどっちとも言えず、かといって崩れる訳でもなく、これが琉球ノリなのかと思わず唸った。トリオのメンバーはさすがに息が合っている。ピアノの変態的な挑発(失礼)にうろたえることなく応える。こういうのがバンドの良さなんだよな。


「寓話」には昨年十月にも行ってきたが、トリオのメンバーのうち、ベーシストが変わっていた。まるでギターのようなベースを弾く人だな~と思っていたら、次の日に行った国際通りのジャズ・バー「カムズハウス」ではギターを弾いておられたのでびっくり。どうりで。

ちなみに「カムズハウス」はここもオーナーがピアニストでかむらさんという名前。かむらの家、略してかむの家。ここでは石垣島から来たという陶芸の先生がフルートを持って遊びに来ていた。石垣島に行った際、地元のジャズ・バー「スケアクロウ」の人が「石垣と本当の人間は人種が違う」と言っていたけど、それは本当だと思う。石垣の人を見ていると沖縄の人は随分と普通に見えてしまうから恐れ入る。「カムズハウス」では東京ユニオンを辞めて本島に移住したテナーマンともセッションできて楽しかった。ここでは泡盛ではなくオリオン・ビール。このビールも沖縄で飲むと非常に美味しい。

 ところで沖縄は南国らしく明暗のコントラストが高い。暗の象徴は、何と言っても米軍基地だろう。このBLOGでは極力政治ネタについては触れないようにしてきたが、国民投票法案も成立、愛国心は強制されるわ、経済では三角合併も解禁だわで、一体いつからこんな美しい国になったんだろうと驚かざるを得ない。こうなった責任の8割はマスコミにあると思う。マスコミの虚栄と自己反省の無さ、或いは想像力の欠如が、自公支配の美しい国を作り上げてしまったような気がしてならない。

沖縄の熱い夜①

ジャズ
05 /15 2007
 とにかく寒いのが苦手で、中には暑いのも寒いのも苦手な人もいるけど、私の場合は寒さに弱いだけで暑さには強い。動物タイプの人間と言うより、植物タイプの人間なのかも知れない。そんな体質だから沖縄に強く惹かれる。これまでにも何度か沖縄に行き、行くたびに改めて好きになる。日中は海で泳げるし、夜はジャズができるし、泡盛は美味いし、言うことなしだ。もっとも居住すると台風や基地問題、就職難などシリアスな問題もたくさんある訳だが・・・

 沖縄県の玄関口・那覇空港に降り立つと、まず南国特有の匂いに迎えられる。明らかに湿度の高い空気。本土にはない雰囲気だ。ここからタクシーで十五分も走ると那覇の中心地、国際通りに着く。随分観光化されたとはいえ、メインストリートを一歩入いると、細い路地がまるで蜘蛛の巣のように入り組んでいる。猫天国だな、と思う。魚をくわえて逃げても簡単に逃げ切れそうな気がした。何か、こんな感じの細い路地とかに惹かれる。昭和50年代初期の米子もこんな感じだった。一歩入ると溝の付いた細い路地が枝分かれしていた。きれいな街並みというのも好きなんだけど、路地裏のごちゃ混ぜ感も好きだ。

 そう言えば那覇にはジャズ・ボーカリスト与世山澄子さんの「インタリュード」というお店があるんだけど、未だに行ったことがない。情熱大陸に出演されたのでご存知の方も多いかも知れない。ジャズ・ファンには懐かしい名前だ。今から24年ぐらい前にスウィング・ジャーナル誌上でよく与世山さんの名前を拝見した。当時は沖縄自体が今のようにブレイクしていない時代で、沖縄ジャズ界もまったくといっていいほど知られていなかった。そんな中で与世山さんがマル・ウォルドロンと共演されてアルバムを作られたのだ。「日本のビリー・ホリデイ」と一気にブレイクされたような記憶がある。S・J誌でも沖縄ジャズ特集の企画があったような気がするけど、与世山さんがアルバムを吹き込まれた頃なのかどうか、そのあたりにの時代考証は曖昧だ。その頃、S・J誌を読んでいた私は、沖縄のジャズマンは「米軍基地で鍛えられた凄腕(死語)のジャズマンばかりなんだろうな」と思っていた。那覇の中心部から少し離れているということもあって「インタリュード」にはまだ行ってない。

 旅行先ではセッションしたくなるもので、もちろんセッション不可な店やセットもあるので、現地に着いたらとりあえず電話でセッションできるかどうか確認しておくことが肝心だ。沖縄で最初に訪れたジャズ・バーは国際通りのはずれに位置する「寓話」だ。ピアニストの屋良文雄氏のお店。常連客か観光客かよく分からないが、平日でもお客さんが多い。初日は何となく下見も兼ねて、ふらっとカウンターに座る。観光客を装って、って言うか実際に観光客なんだけど(笑)、屋良さんの息子さんとカウンター越しに他愛ない話をしながら泡盛をがんがん飲んだ。ちなみに「なんぼ」のサックス奏者曰く「沖縄で飲む泡盛は美味いけど、本土で飲むと不味い」らしい。泡盛が美味いのは「沖縄の気候の中で飲むから」なんだそうだ。なーるほどね。泡盛を飲んで無茶苦茶酔っ払ったので「ジャズマン宣言」した。で「明日セッションさせて下さいな」と申し出てみた。一瞬、一同の目つきが鋭くなった・・②に続く。

「なんぼなんでもHP」LINKS更新しました。

練習のプレッシャーについて

ジャズ
05 /14 2007
 昨日のうちに更新しようと思ってタイマーをセットしておいたら、サーバーが混んでいたせいか、更新が10分遅れになってしまい、12日はついに未更新、空白の一日になってしまった。個人的にはかなりショックだったが、「JAZZYな日々~なんぼのペエヂ」にあるように、日々更新がプレッシャーになってもマズいので、これでよしとする。特にはプレッシャーを感じてはいないんだけど。

 プレッシャーといえば練習しなかったことに対するプレッシャーがある(変な文章?)いや、あったと言うべきか。もちろん今でもあるんだけど、今は比較的お気楽なもので、二日楽器を構わなかったところでうろたえる風もない。一時は一日構わないと結構不安になったし、二日だとそわそわ。三日だと冷や汗もんで、四日はさすがにないだろう、という感じだった。一種、強迫観念に近い。昔相撲とりが「一日練習しないと実力が一日後退する。二日休むと三日後退」と言っていたのが妙に頭の片隅に残っているのだ。なんで一日休むと一日後退なのに、二日休だと三日なのか、そのあたりの計算の根拠がいまいちよく分からないが、その通りだとすれば、三日だと六日後退するのかと恐怖に駆られる。まぁ体感的なものだろう。

 トランペットの場合、私の体感的には五日以上休むとちょっと違和感がある。楽器のリード・パイプからベルまでが長く感じるのである。この時に気を付けないと音を当てる位置を間違えてしまい、バランスを崩してしまうので要注意だ。そういえばアート・ペッパーは数ヶ月も吹かない状態でいきなり「ミーツ・ザ・リズム・セクション」のレコーディングに臨んだというが、それでもってあの出来かよと、その天才振りに溜息が出る。でもトランペットの場合、数ヶ月吹かなかったらどうなるのだろうか。私は十八歳のときから一週間以上吹かなかったことがない(筈・・)ので、どうなるのかは謎だ。それにしても、仕事で吹けない日々が続いたりした場合、苛々しますね。チューニング・スライドが硬くなっていたりすると何となく罪悪感が沸く、みたいな。

 結局のところ多少空いてもそうそう変化がある訳でもないけど、上手になることもない。何が嫌だって、この「確実に上手になっていない」ところが嫌だ。ジャズって楽器が上手になるかどうかで、てきめんに演奏する楽しさが違ってくるから、昨日より上手になってないということは、昨日より楽しく演奏できないということでもある。例えばそうと分かりつつライブ当日を迎えたりした場合は、やはり憂鬱にならざるを得ない。プレッシャーは嫌だけど、プレッシャーを感じなくなるのもやばいかなと、こと楽器に関してはそう思う。    

高知には「Guild」というジャズ・コミュニティがある

ジャズ
05 /13 2007
 ジャズのいいところは初対面の者同士でも、「ミスティ、キーはEbで、テンポ70ぐらい」と言うだけでその場で演奏できてしまうところだろう。ピアニストのコード遣いの癖やグルーブ感覚の違いなど、多少の慣れを必要とする部分はあるが、基本的には曲名、キー、テンポを設定すればあとは音でコミュニケートしていけばOKだ。あとは初対面の人間を前に吹くか吹かないかが問題。吹けるか吹けないか、ではなくて吹くか吹かないか。これが案外ジャズ演奏を楽しめるかどうかの分かれ目になるような気がする。実際にセッションして楽しかったかどうかは別問題だ。

 2006年3月、妻と高知市を訪れた。同市在住のジャズテナー奏者・井上省三氏に会うのが旅の目的だった。井上氏のBLOG「JAZZ天動説」によると、氏は1949年高知生まれで、高校在学中から演奏活動を開始。高知市役所職員として働きながら32年間アマチュアバンドのリーダーとして活動後、50歳を契機に辞職。プロのジャズマンになる。2003年には全編オリジナル曲による初アルバム「You can touch my eyes」を発表、月一の定期ライブのほかに様々なステージをこなしつつ現在に至る―普通に考えると、50歳できっぱり市役所を辞めるのが凄い。このあたりの年齢で職場を辞めて議員になる人は多いがジャズマンになった人は聞いたことがない。そういう意味でも一度お会いしてみたかった。さらに井上氏はジャズ教室の教え子さんたちで構成される「Guild」というグループを組織。先進地視察ではないけど、どうやったら地方ジャズが活性化するのか、その取り組みを訊いてみたかった。

 高知市に到着後、さっそく井上氏の店舗兼スタジオを訪ねる。いきなり土佐弁の洗礼を受けた(当たり前か)。熱さとクールさを兼ね備えたような感じの人で、理路整然としたトークの中にしばしばユーモアが混じる。厳しさの中にも暖かさが感じられるお人柄だったが、相手に強いるような圧迫感を与えない点が特に印象的だった。これ、指導者として重要な要素だと思う。「できてもできなくても、生徒さんにはテンポ300の曲をやってもらっています」というようなことをソフトにきっぱりと言われる(笑)実際に早い曲なんてできてもできなくても普段からそのテンポに慣れていくことが重要。しかしながら、音楽の先生は「200ができるようになってから」「とりあえずスケールをマスターしてから」などと、段階的な方法論に陥りがちだ。かといって、300に対峙する生徒の方も、最初は相当に勇気が要る訳だから、そんな時に「ソフトな強制」が必要となってくる。それをさりげなく実践されているところが凄いな~と思いました。

 そのように、いわば実践的なジャズ指導で、初心者の生徒さんを育成。一曲吹けるようになると月一のライブでステージを経験させるという。ライブのお客様はリピーターが多く、「Guild」のメンバーの成長を見守るような温かさがあるという。実践的指導→ライブ→バンドメンバーに育てられる→お客様に育てられる→バンドメンバーにフィードバックといった流れで良い循環の輪が形成されている。手短に書くと簡単そうだが、よほどの忍耐、ジャズへの愛着がないと難しいだろう。そんな過程を経たメンバーで吹き込んだ初アルバム「You can touch my eyes」は感動的だ。ボサノバを主体としたオリジナル曲はどれも美しく、まるでスタンダード曲の如し。

 ちょうどその頃に私たちも「なんぼ」を結成。頭の中で描いていたバンドのイメージが高知訪問で明確になった。バンド、というかコミュニティーのようなものを目指したのが、私の「なんぼ」のコンセプトだった。言葉で説明するのは難しいけど、要は「上手くなりたいと思う前提で、音楽を楽しみたいメンバーの集まり」みたいな(ちょっと違うか)。


氏は「お客様を『客』と言ってはいけません。『お客様』です」など、プロ・アマを超えたミュージシャンとしての心構えにまで踏み込んで指導されていた。私も練習や定期ライブに参加し、とても楽しい時間を共に過ごさせて頂いた。この時の体験を通して「ステージを勤める」ということを学ばせて頂きました。

こんなステージもあった①

ジャズ
05 /11 2007
 米子に帰って十五年、兵庫県香住町から島根県出雲市まで、いろいろな所でライブをやらせてもらいました。どのライブもそれぞれ印象に残っていて、振り返ると懐かしい。中でもとりわけ楽しかったのが、香住町の「モノラル」というジャズ・バーであったセッションだった。「モノラル」は但馬地方で唯一のジャズ・バーで、結構な老舗だったように記憶している。当時既にジャズ・バーではなくなっていましたが、地元ピアニストのコーディネートで、一夜限りのジャズ・バー復活が実現した。総勢約20人。こんなにジャズマンがいたのか!と思わず感極まってしまった。

 私たちはさっそく「モノラル」の近くに宿をとった。香住といえば・・・蟹。香住港で水揚げされた香住蟹は、ベニズワイガニながら超美味だ。はっきり言って○○温泉で出てくる松葉ガニよりも数段旨い。しかも蟹刺し、焼き蟹、蟹鍋などのフル・コースで値段は一泊二食付13000円也。凄いお値打ち感だ。で、この後にセッション。何とも贅沢な楽旅である。

 「モノラル」に集まったのは鳥取市、豊岡市、香住町のジャズマンの皆さんと私たち。セッションが始まるなり、そのレベルの高さに驚いた。豊岡市は神戸市に近いということもあって、神戸でレッスンを受けているといわれる素晴らしいテナーの方もおられた。ドラムもプロレベル。上手いのもさることながら、ジャズに取り組む姿勢が真摯で、しかも謙虚。勉強させられますね~

 そんなこんなで深夜までセッション&飲みが続いた。一度、山陰のジャズマンを一堂に集めて大セッション大会をしたら面白いだろうな。誰か企画しませんか?

 一方で「トラックの日」イベントでの演奏とかもあった。ステージは勿論、トラック。トラックの荷台がステージになっていて、それはそれでいいんだけど、目の前におでんとかの屋台があって、そんな中で「酒とバラの日々」なんかを演る訳だから何だかよく分からない(笑)本当に色々なステージを経験させて頂いて有難く思っています。    

米子ジャズ喫茶今昔

ジャズ
05 /10 2007
 そういえば米子には「ファーブル」というジャズ喫茶があった。StailさんのHPを拝見させて頂いて思い出した。朝日町「いなだ」と駅前「ジャズマン」の双璧のほかに、東町の旧大丸(さかのぼると米子ストア)前の雑居ビルに、あった。ライオンのイラストのジャケットのコンテンポラリー・レーベルのレコードが飾ってあったような記憶がある。若いご夫婦が経営されていたような、曖昧な記憶がある。当時私は中学生だった。

 今でもはっきりと覚えているのは、ここで東京・新宿の老舗ジャズ喫茶「DIG」の中平穂積さんがビデオ上映会をされたことだ。60年代に渡米し、自ら8ミリで撮影されたニューポート・ジャズ・フェスティバルのドキュメンタリー映画を上映されていた。最も印象に残っているのが動くコルトレーンの映像だ。しかもカラーで。「うお」と、店内が一瞬どよめいた。上下左右斜めに激しく身体を振りながらサックスを吹くコルトレーンの姿がスクリーンに大写しになり音と映像が全然合ってなかったけれど、とにかく唖然とした。「いなだ」のマスターも来ていた。

今では信じられないが、当時はジャズ喫茶のマスターといえば、ある種権威的な存在だった。まして「DIG」のマスターとくれば、中平氏見たさに「ファーブル」を訪れた人も多かったんではないだろうか。「メグ」の寺島靖国など、最近こそすっかり好々爺になってしまったが、当時はコワモテで言いたい放題の論客だった。「フュージョンは知能指数の低い音楽」と断言していたから恐れ入る。今なら即糾弾モノだろう。「ファーブル」はその後残念なことになくなってしまった。70年代のジャズ喫茶から脱皮した、新たなジャズ喫茶の形を我々に見せてくれていたのに。

それから数年後、河崎辺りに突如としてクリフォード・ブラウンの看板が出現した。何事かと思いきや、新しい喫茶店でしかもジャズ喫茶なのだという。名前は「エル」。犬のような名前だが、れっきとしたジャズ喫茶だった。飄々とした感じのマスターだったような気がする。特に珍しいレコードがあった訳でもないのに、唯一、当時は廃盤で入手困難の極みと言われたチャーリー・ヴェンチュラのライブ盤があって我々を驚かせた。現在、米子にジャズ喫茶はゼロだ。果たして米子に再びジャズ喫茶は出現するのだろうか。新世紀のジャズ喫茶を見てみたい。

ジャズのフォームについて

ジャズ
05 /09 2007
 NHK教育テレビで8日から4週にわたり毎週火曜日に、私のこだわり人物伝―マイルス・デイビス 帝王のマジックという番組が放映される。普段ほとんどテレビを観ない私だが、菊地成孔のマイルス・ガイドとあって思わずチャンネルを合わせる。菊地のちょっとくだけた、それでいてきちんと本質を押さえたコメントが面白くて、あっという間に時間が過ぎた。その中で「ビ・バップはスポーツ」という比喩が可笑しかった。「スポーツだから譜面なんて見ない。コード譜を見て演奏する」と。

 ジャズの歴史書などによると、ビ・バップはあたかもスウイング・ジャズの発展形であるかのような印象を受けるが、ビ・バップ出現当時、この二つの音楽を同じ「ジャズ」でくくれる人はおそらくいなかったんじゃないかと思う。今にして思えば突然変異と言ってもいい。どっちが良い、悪いではなくて、形式の洗練度という点ではビ・バップの方が遥かに高く、それどころかビ・バップはジャズの即興演奏フォームの最終形と言っても過言ではない。これを一人で創造したんだからチャーリー・パーカーはやっぱり凄い。お陰でジャズは40年代の十年間で一気に音楽的頂点を迎えてしまった・・・というのは大袈裟だが、ジャズ的なものの8割はチャーリー・パーカーの出現でやり尽くされた感がある。残りの2割をやり遂げたのがマイルスだろう。この二人が本当にジャズをやり尽くしてしまったので、必然的にマイルスはジャズ以外の、マイルス・ミュージックとしか言いようのない音楽を追究していくようになる。マイルスはジャズにかかわった期間より、マイルス・ミュージックにかかわった期間の方が長いアーティストだった。

 話を元に戻すと、ビ・バップのプレーヤーがテンポ300などと超激早なテンポで演奏できるのも、そこにきっちりとしたルールがあるからだ。厳格なルールに従って運指の速さや正確さを競い合うところなど、まさにスポーツだ。ルールが洗練されているからこそ、どんな人でも参加できる形式美はあるが、チャーリー・パーカーが恐ろしいのは、技術的な合理性の中に閃きがある点である。例えば、一般的には全盛期を過ぎたといわれる頃のヴァーヴ盤「Now’s the time」の中の「Confarmation」のアドリブはどうだろうか。興が乗ってきた2コーラス目のサビのフレーズなど、まさしく天才の閃きだろう。個人的には案外とヴァーヴ期のパーカーが好きで「With Strings」の「Just friends」も、ちょっと異常なぐらいの歌心だ。こうなると練習云々の話ではなくなってくる。パーカーにしか創造できない音楽なんだなと納得せざるを得ない。50年代のいわゆるハード・バップは、基本的にはビ・バップと同じ。ビ・バップがスポーツに傾き過ぎた反省を踏まえ、テーマのアンサンブルなど、やや音楽に立ち返ったのがハード・バップか。 

 話は急に変わるが、「なんぼ」で「椰子の実」を採り上げたのは、ジャズ即興のスポーツ性を極力排除したかったからにほかならない。しかも、イントロ部分ではハーモニー的な制約も極力無くした。「海を漂う椰子の実の雰囲気を音でどう描くか」がコードの代わりとなるガイドという訳だ。そもそも何で12音階なのか。そもそも音楽が12音階で済むはずないだろうと思う。それは飽くまでもルール上の問題である。調性音楽である以上、何らかのルールを必要とするのは仕方ないが、その合理的なものの一つに12音階の概念があるに過ぎない。絶対的なものではないはずだ。そんなこんなで、ジャズのフォームについて、つらつらと書き連ねてみた。

ジャズバンド「なんぼなんでも」のこと①

バンド「なんぼなんでも」
05 /08 2007
 そういえば「なんぼなんでも」のメンバーについて、このBLOGではまだ触れていないので、「なんぼ」についてちょっと書いてみようと思う。

 話はさかのぼるけど、2004年3月、それまで組んでいたクインテットを解散した。「O・Oクインテット」という二管のジャズ・バンドだったが、レコーディングを最後に解散という謎の最期を遂げたグループでもある。で、アルトを吹いていた岡村君とぶらぶらしていたら、ピアノの田中啓三君に出会った。それならバンドでもつくろうと「ジャズ三人どうし」という名で、超変則コンボを結成。何回かライブを敢行した。で、これから本格的にという時に急遽岡村君が東京に行くとの爆弾発言をして、私は途方に暮れてしまった。それが2005年正月のことだ。「じゃ今年のバンド活動の話でも」と新年会を兼ねた飲みの場でいきなり「3月から東京に」と言われても・・・「バンドとは海辺の砂上なりけり」とは詠み人知らずの名句だが、まさにその通りと実感した。

 そんな折、むくむくと成長するトランペットのしみずりえ(現・なんぼ)を岡村君の後釜に据え、なんとかかんとか体裁を整えていたが、2005年暮れごろに、翌年3月の境港市文化ホールの「サロンコンサート」の日程が決まり、いよいよバンド結成に向けた動きが加速する。参加を躊躇しまくるテナー・マンの岡雄一氏も正式加入し、3管揃った。とどめに大山山中から捕獲してきたヴォーカルの種田さとみを加えて、濃いバンドになった。「なんぼなんでも」を名乗り始めたのはこのステージからである。この時点で現メンバーは私と田中氏、岡雄一氏、しみずりえの四人。童謡「椰子の実」などをなんぼ流にアレンジして演奏した。「椰子の実が浜辺に流れ着くまでのストーリー」を各自プレーヤーが思い描きながら、その絵を音にするのがなんぼ流。ピアノのコード(カンバス)の上に、即興で思い思いの絵を描く。二度と同じ絵は描けない。考えてみたら凄いことだ。どんなにサエない瞬間だって二度とない貴重な瞬間に変わりはないのだ。

 それから数ヶ月後、アルト・サックス・プレーヤーに広瀬謙一氏を迎え、ついに4管になった。ここまでくるとどうしても緻密なアレンジが必要になってくる訳だが、緻密なアレンジを一手に引き受けたのが田中啓三氏だった。毎週きちんとスコアを書き上げてくること自体驚異的なのに、既成の曲に対してもまったく独自のモチーフをハーモナイズしたものを提示してくるから恐ろしい。

 なんぼのコンセプトは、とにかく今その瞬間を音にすること。別に楽器じゃなくても良くて、詩の朗読でも全然構わない。洗練されるまでにじゃあ声は出さないのか、ということを常々考えている。あと、自分たちに歌うべき歌があるのかということも。

ジャズ原体験~エリック・ドルフィーの衝撃

ジャズ
05 /07 2007
 ジャズを初めて聴いたのは小学校6年の時だった。忘れもしない、エリック・ドルフィーの「Memorial album」(Prestige)の「Booker’s waltz」。冒頭のトランペットとバスクラリネットのユニゾンの気持ち悪さに度肝を抜かれた。「ちんどんや・・・」そんなイメージである。だいたい小6の子供がこんな演奏に痺れていたら、そっちの方が気持ち悪い。

 要は正常な感性だった訳だが、この「気持ち悪さ」が、妙~に引っかかり続けた。LPジャケットの青一色の写真も気になった。気になったというか、単にファイヴ・スポットのような薄暗く、空気の淀んだ空間で嬉々としてトランペットを吹くブッカー・リトルの顔と、眉間に深い皺を寄せてフルートを吹くエリック・ドルフィーの顔が怖かっただけだろう。

 黒人の暗く濃いイメージ。ジャズに対して感じたマイナーでどこか胡散臭い雰囲気・・・或る日、兄貴に連れられて入った朝日町のジャズ喫茶「いなだ」の店内は、驚いたことに「Booker’s waltz」のイメージそのままだった。よく晴れた午前中だというのに、リスニング・ルームの雰囲気はどこかすすけていて、けだるい夜の匂いがそこはかとなく漂っていた。退廃的とも違う、独特な感じ。ちょうど真夏の正午頃、建物の陰に隠れてひっそりと息を押し殺す感じ。ひんやりとした底流の中で、不思議とジャズが違和感なく身体に沁み込んでいった。身体感覚としてジャズに馴染んでいったといえばいいのか。

 そんな原体験があるものだから、どうにもスマートな雰囲気とジャズがうまく結び付かない。エリック・ドルフィーはあれだけ鬼気迫るアドリブを繰り広げながら、普段は蜂蜜を食べてばかりいて、そのお陰で額にドでかい瘤をつくっている。普通ではあり得ないそうしたバランス感こそやはりジャズではないか。

 ある日、NYの交差点でオープン・カーに乗ったチェット・ベイカーが信号待ちをしていたところ、頭や肩に雪が数センチも降り積もっていたので、焦ったジャック・シェルドンが「どうしたんだい?」と声を掛けると、われに返ったチェットが「・・・ズート・シムスを聴いてたんだ」と答えたという。ジャックは「ズートの演奏に聴き入ってて雪が降ってるのに気付かなかったのさ!」と苦笑した後に「それがジャズだ」とちょっと誇らしげに言った。

 今なら奇行も自己責任でやってくれと言われそうで、ジャズらしくない社会になってきている。だからジャズが勢いを失ってきたのだとも言える。おそらく「いなだ」のような空間が現れることは二度とないだろうし、仮にあったとしても自分がいちばん戸惑うに違いない。ただ、今でも演奏しながら、かつての予定調和じゃないジャズのリアルな肌触りを想っているのは確かだ。

トランペット~セルマー・コーラス80J

トランペット
05 /06 2007
 セルマー・トランペット コーラス80J
 

 セルマーといえばサックス。それほどサックスが有名なメーカーなのだが、実はトランペットも製造している。それも、かなり以前から。ルイ・アームストロング、ハリー・エディソンが使っていたし、チェット・ベイカーが60年代に使っていたフリューゲルホーンもセルマー。たまに中古楽器店でオールド・セルマーを見かけるが、つくりの良さは抜群だ。

 このコーラス80Jは比較的最近のモデルで、最新ラインナップの「コンセプトTT」の一代前のモデル。出雲のレストラン「味巣亭」でエディー・ヘンダーソンがライブをした際にこの楽器を吹いていたので、思わず翌日に注文した。それほど衝撃的なプレイだった。何しろ音が無茶苦茶ダーク、なおかつ太い。CDで聴いてファンになったが、実物はもっと凄かった。フリューゲルホーンを思わせるような暖かなサウンド。一糸乱れぬフィンガリングといい、人間がトランペットをこれほど簡単に操れるのかと驚いた。もしかしてこの楽器を使えば、エディ・ヘンみたいに吹けるのかも知れない・・・

 そんな訳ないが、トランペッターとは基本的に単純な人種である。巧く吹くためなら家の権利書すら手離しかねない人種なのだ。で、東京の楽器店から二本ほどコーラス80Jを取り寄せて、明らかに抜けの良かったものを購入した。

 一見ノー・ラッカーのようにも見えるが、サテンラッカー仕上げになっている。一本支柱でスクエアクルーク、ボトムキャップもヘヴィータイプのものを使っていて、全体的に重量感のある仕上がりだ。楽器本体の存在感も抜群だが(よくモネと間違えられた)音も凄くダーク。エディ・ヘンとはいかないまでも、この楽器にしてあの音ありと納得した。ダークの大御所、マーチン並みのダークさ、それでいて芯のしっかりしたぼやけないサウンドは、かなり特殊。ジャズ・コンボを意識して作られただけあって、かなり偏った方向性を持っている。人によっては好みの分かれるところだと思う。個人的にはかなり好きな部類。しかしながらLボア。Lボア故にウォームで太い音なのだが、その分多少キツい感じもある。MLボアでこの雰囲気は出せないものだろうか。或いは細管でオールド・マーチンのようには仕上がらないものか、と思う。

 かれこれ3年ぐらい使ったんだけど、諸事情によりあまり使わなくなってしまった。エディ・ヘン本人は今でもコンセプトTTを使用し、独自のダークサウンドで異彩を放っている。楽器選びのポイントはまず自分がどんな音を出したいのか、どんなプレイをしたいのかが肝心だ。

 

トランペット~ビンセント・バック180ML 37ベルSP

トランペット
05 /05 2007
ビンセント・バック180ML 37ベルSP

 大学のジャズ研では当初ヤマハのカレッジ・モデルを使っていたのだが、そのうち少しグレードアップを目指すようになって購入したのが、バック180ML37SP。バックの中ではスタンダードなモデルで、多分最も多く出回っているモデルではないか。一般にクラシック用とのイメージがあるけど、あらゆるジャンルのトランペッターがバックのトランペットを使っている。私のは80年代初頭に製造された一本。最近のバックは凋落の一途をたどり、工場も中国に移すだの移さないだの、あまりいい話は聞かない。人によってはエルクハート製はバックに非ずというぐらいだから、最近の製品に至ってはトランペットに非ずとなるのかも知れない。逆に評価を上げているのがヤマハだ。実際にヤマハのシグネイチュアーモデルを使っているプロも多い。

 ここにきてようやく下火になってきたビンデージ・トランペット・ブーム。というか、モノが無いのが現状だろう。米国のオークションなどを観ると、たまにオールドマーチンのコミッティーモデルなどがあり「さすが本場」と思わず唸ってしまうが、日本ではすっかり姿を消してしまった。ニューヨーク・バックしかり、マウント・バーノン・バックしかり。もちろん現代のバックとは別物で、NYバックなどは吹奏感からしてまったく異なる。基本的にライトウエイトだし、素材そのものの違いも感じる。個人的にはNYバックのようにエッジが立たないテイストが好きだ。新品でこういうテイストの楽器を作ってくれるメーカーはないだろうか。

 と、何だかんだ言って、最近はバックと付かず離れずの状態が続いている。はっきり言って私にはヘヴィーな楽器だが、抜けてるし、アンサンブルによくマッチするし、ここ一番の登板が多い。特にデッドなスペースで大人数で演る場合など、とりあえずこいつの太い音に頼ってしまう。

 現在のバックのラインナップにはライトウエイトもあり、一度吹いてみたいのだけど、未だに実現していない。軽い中にバックの音が生きているのなら案外いいかも知れないな。私にとって180MLは「いい楽器」なんだけど、あらゆる意味で重過ぎる。チェット・ベイカーが最晩年にバックのラッカーを使っているが、音はブッシャーとまったく同じ(笑)天才は何吹いても関係ないみたいだ。 

 そういえば昔吹いた「シャガール」という欧州のメーカーの楽器が、同じシルバープレート、二本支柱ながら、ちょっとオールドっぽいテイストがあって素敵だった。買っておけばよかったと少し後悔している。

海とボサノバ

ボサノバ&MPB
05 /04 2007
5月の海


 「5月の風」はナラ・レオンの歌ったボサノバの名曲。写真は今日、昼下がりの日本海。すっかり初夏の陽気で気持ちがなごむ。夏と冬のどっちが好きと訊かれたら、145%夏と答えるだろう。


 で、夏の海辺とくれば、これはもう完全にボサノバの世界だ。ボサノバがよく似合う。個人的にはボサノバ以外のブラジル音楽全般、いわゆるMPBが大好きなんだけど、もしかしたらジャズよりはるかにマイナーな世界かも知れない。そのことに気付いたのはつい数年前のことで、カフェなどでは大抵ボサノバを流しているものだから、てっきりブラジル系音楽が人気なのかと思っていた。けど、案外にそうでもないのか。


 ブラジルの大作曲家といえばトム・ジョビンがまっさきに思い浮かぶ。「ジョビンの曲の中でどれが一番好きか」・・・世の中で一番返答に困るような質問だが、私は「フェリシダージ」と答えるだろう。この曲はすごい。


 ジョビンの曲の中では比較的メジャーな曲だと思う。この曲のどこがすごいのかと言うと、こんなコード進行、普通思い付かないだろう(笑)マイナー・キーから始まってメジャー・キーに移ろうくだりが何とも快感だが、曲全体が極めてドラマチックで、良くできた長編小説のような短編小説である。こんな説明では多分訳が分からないだろうから、とにかく一度聴いてみてほしい。音楽のエッセンスが凝縮したような曲だと思う。

 こんな曲を聴きながら過ごす午後、それも初夏の午後はたまらなく心地よい。ブラジル・ミュージックについては今後も積極的に採り上げていきます。

カリモク60 ロビーチェアー

日常のこと
05 /03 2007
カリモク ロビーチェアー


今日は音楽から離れて家具について話してみよう。といっても、話すほど家具通じゃないけど。

 今の場所に居を移す際にどうしても欲しかったのがカリモクのソファー。それもモケット・グリーンの3シーターロビーチェアーだった。だいたい床でごろごろ、うだうだが身上の私が何故ソファーなのか。その辺が実はいまいち分からないのだけど、とにかく直感的な部分に訴えてくる物欲が芽生えてしまったのだ。

 昔、我が家の縁側に置いてあった何の変哲もない椅子。今にして思えば、あれはカリモクだった。そして鉄道好きが憧れた特急のグリーン車のシート。あの生地はモケット・グリーンだった(今はどうなんだろう)そんなノスタルジックなイメージと普遍的なデザインがマッチして、思わずこいつを購入した。

 金額約10万円也。同額出せば、よりクッションの良いソファーがなんぼでも買える筈だ。基本的に、日本の住宅事情を考慮したサイズなので、決して身長の高くない私が寝転んでもぎりぎり足が飛び出す。小ぶりである。けれど、たたずまいは凄くいい。50年使ってやろうかという気にさせる。

 カリモクの復刻家具は「カリモク60」というシリーズでソファーのほかにもテーブルなどがある。いずれもミドル・エイジャーには懐かしいデザインだ。日本のいい時代が刻まれたデザインでもある。

「なんぼなんでも」について

バンド「なんぼなんでも」
05 /01 2007
 元々はアルト・サックス+トランペット+ピアノという変則的なトリオだったんだけど、「リズムも揃えたバンドにしよう」とメンバーを募り、2006年3月の境港市文化ホール「サロン・コンサート」に出演したのが「なんぼなんでも」の最初のステージだった。だから結成してまだ約一年しか経ってない。にもかかわらず随分と昔から活動しているような気がする。「デュオからオクテットまで演奏できるバンド」をモットーにメンバー全員がアドリブ・プレーヤーであることを目指してこれまでやってきた。とにかく、最初はフレーズにならなくていいんである。自分の出した音が周りのプレイヤーにどんな影響を与えて、どんな反応が返ってくるのか、即興の楽しみみたいな部分を感じとることができればいいというポリシーだ。現在、メンツは8、9人といったところだが、よくまあ米子周辺でこれだけの数のジャズメンが集まったものだ。
 レパートリーはジャズのスタンダードからボサノバ、8系、はたまた童謡まで、基本的にいいと思った曲をなんぼ流にやる。境港市夢みなとタワー「ミラージュ」で月一定例ライブのほか、同じく境港市内の431沿いの喫茶店「成田屋」に不定期出演。夏になると路上に現れるかも知れない。

jazz bird

ライフワークはジャズ・トランペット。好きなトランぺッターはトム・ハレル、チェット・ベイカー、パオロ・フレス、市原ひかりさん、山本ヤマさんetc.夏の海が好き。