ジャズ・トランペッターの系譜① トム・ハレル

ジャズ
09 /29 2007
Tom Harrell




 マイルス・ディヴィス、チェット・ベイカー、ウディ・ショウが亡くなり、フレディ・ハバードがリハビリ中、ウイントン・マルサリスが教育者になった今、ジャズ・トランペットの系譜を受け継ぐのはトム・ハレル以外に考えられない。そのトム・ハレルも1946年生まれだから61歳になる。


 よく知られるように、トム・ハレルは若い頃から統合失調症に悩まされている。動画を見ると分かるが、ステージでは終始うつむき、トランペットを吹く場面になると、まるでスイッチが入ったかの如く怒涛のアドリブを繰り広げる。トムの部屋を訪れた人は、こう証言する―「部屋はがらんとしていて、中央に譜面台、片隅にフェンダー・ローズのエレピが置いてあるだけだった。譜面台にはぼろぼろになったクラークのタンギング・スタディがあった」。これを何かの本で読んだ時、思わずその格好良さに唸ってしまった。一日中、がらんとしたその部屋で音楽に没頭しているのか。


 頻繁に楽器をチェンジするジャズマンが多い中、トムは頑なにコーン・コンステレーション、フリューゲルはオールド・ケノンを使い続けている。コーン・コンステから放たれる超ダークな分厚いサウンドは、一聴トム・ハレルと分かる個性。端正でいてよく歌うバップ・フレーズは、文字通りめくるめく快感だ。むやみにハイ・ノートに走ることなく、ひたすら端正なフレーズを積み重ねていくスタイルで、コーラスを追うごとに、まるで高波のように圧倒的な迫力となって五感を直撃する。ウディ・ショウの個性が洪水のスピード感だとすると、トム・ハレルは津波。「気が付いたらのまれてしまった」ぐらい、徐々に迫力を増していくアドリブである。しばしば出てくるペンタトニック系フレーズも効果てき面。また、フリューゲルの何とも言えずソフトなプレイも魅力的だ。


 何よりも、トムのプレイには毒がある。ジャズ・トランペッターの系譜たる所以で、マイルス然り、チェット・ベイカー然り。まぁ音楽自体、毒のない音楽など面白くも何ともない訳だけど、凄いと言われるニコラス・ペイトンとか、あまりにも毒がなさ過ぎでぴんとこない。「フレーズを吹いている」ようにしか聴こえてこない。トムのプレイはフレーズではなく歌としか聴こえない。この違いは大きい。リー・コニッツと共演したヴィーナス盤のプレイなど、アドリブの随所に強烈な美意識を感じる。トランペットの中音域って、こんなに魅力的なのかと改めて思い知らされる。おそらくトムの世代あたりが最後の系譜になるんだろうな。
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ジャズらしく演奏するために

バンド「なんぼなんでも」
09 /28 2007
 さて、久々の「なんぼ」ネタ。テーマは「ジャズらしく演奏する」こと。これが実に難しい訳だ。何故ならばジャズはアフタービートの音楽。アフタービートのグルーヴを出すことは、日本人には難しいと一般的に言われる。ドラマなどで東京育ちの俳優が不自然な関西弁を喋るのと同じで、前ノリ文化の日本人がジャズを演奏しようとすると、どうしてもダサくなってしまう。よくカラオケなどのバックで一拍目と三拍目に手拍子を打つでしょう。年配の方には顕著な傾向だが、あのノリでジャズを演奏してしまうと100%どつぼにはまる。吹奏楽を長年経験された方もきつい。どうしても矯正が必要になってくる。4ビートの音楽は前ノリでは演奏できないのである。そこで「なんぼ」では基本を見直し、矯正活動を試みている。


 昨夜の練習前に先ずやってみたのは、12Keyのメジャースケールをレガートタンギングで裏にアクセントを置いて3往復合奏すること。気の利いたジャズ研あたりでは来る日も来る日も、うんざりするほどやらされる裏タン練習だ。これを12Keyでそれぞれ3往復やる。基本中の基本といえるだろう。基本的にはメジャー、マイナー12Key、ディミニッシュ、オルタード、コンディミ、なども全部やるといいのだが、それは個人練習の範疇として、とりあえずウォーミングアップを兼ねた練習としてやってみた。


 それから、練習する曲のCDを聴いて、「どんなニュアンスでテーマが演奏されているのか」を感じる。要はいかにジャズっぽく聞こえるかを目指した練習であって、最も大切な練習と言える。ライブ後にプレイバックを聴くと、ジャズっぽくないテーマが「なんぼ」の欠点なのだが、逆に言えばこの点を矯正することによって、随分と良くなるバンドなのだと、個人的には考えている。案の定、充実した内容の練習となった。


 ハーモニー、リズムなどは、その場でどんどん変えていってもいい。所詮譜面には音符とコードしか表記されてないのだ。それをどう解釈するのかがバンドの個性というものであろう。ただ、その裏付けとしてのピッチやノリがないとまずいので、そうした部分を強化しようと、現在奮闘中です。

「オージェ(明日)」ガル・コスタ

ボサノバ&MPB
09 /27 2007
オージェ



 ガル・コスタ2005年の録音。最新アルバムかと思っていたら実はそうではなく、2年前のアルバムだった。「トラーマ」というサンパウロのマイナー・レーベルに移籍後の第一弾がこの「オージェ(明日)」。超メジャー・レーベルBMGブラジルから移籍したというのだから驚きだ。当年60歳。普通なら定年退職。セカンドライフを悠々自適にと考える年齢で、音楽のモチベーションを高めるためにマイナー・レーベルに移籍するとは。まぁ人それぞれで色々な考え方はあるんだろうけど、60歳にして挑戦的な姿勢はミュージシャンの鑑である。というか、メジャー・レーベルって音楽以外の制約が凄いんだろう、きっと。


 ガル・コスタといえば、押しも押されぬMPB界の女王。現在でも若々しくキュートな声質ながら、そこはやはり女王の貫禄が漂う。「ドミンゴ」でカエターノと共演していた頃を思うと「時は流れた」の感もあるが、個人的には最も好きなヴォーカリストの一人だ。ジョイスとはまた違った意味で訴えてくるものがある。


 心機一転を図った「オージェ」では、特に奇をてらった演出などはまるでない。新しい世代のブラジルのミュージシャンの曲を丁寧に歌っている印象を受けた。最初の2曲がフォーク、カリブ海近辺の民族音楽的な曲で「おやっ」と思うが、前半は比較的ブラジル色が薄いように感じる。透き通るようなアコースティック音楽。休日の昼間などに聴くにはもってこいだ。表題曲「オージェ」は、カエターノの息子、モレーノ・ヴェローゾのオリジナル。ちなみに、ラストの曲もそうだし、カエターノ本人の曲も歌っている。さすが息子というか、カエターノの世界と共通する部分があるな。


 表題曲以降の後半では、シコ・ブアルキの曲などもあり、MPBの雰囲気の濃い内容となっている。「チェシャ猫の微笑」のように、ずば抜けた一曲があるという訳ではないが、全体的に高水準の曲が並び、非常にバランスの良い出来となっている。繰り返し聴いても飽きのこないアルバムと言える。う~む、こんなアルバムがリリースされる限り、ブラジルからはやはり目が離せない。まぁほんと言ったら他の民族音楽をもっと聴いてみたいところだが、財政事情もあり、ジャズ、ブラジルあたりが限界か。とりあえず「オージェ」はお薦めの一枚です

大貫妙子と矢野顕子

その他
09 /22 2007
大貫妙子「TCHAU」




 今回購入したCDの中一枚が大貫妙子の「TCHAU」。1995年にリリースしたブラジリアン・テイストの濃いアルバムだ。声質がボサノバ向きなだけに、ブラジルとの相性はばっちりだろうと思っていたが、やはり違和感がない。もっとも内容はボサノバと言うよりも、サンバ、ショーロ志向が強い。


 日本人シンガーのアルバムを買うことは殆ど無いけど、大貫妙子と矢野顕子は別格。この二人は日本が世界に誇るシンガーと言っても過言ではない。その世界はまさにワン・アンド・オンリーだ。


 トニーニョ・オルタ、ギル・ゴールドステインといった超個性派のミュージシャンと共演しても圧倒的な個性を放つ矢野顕子。「ラーメン食べたい」とピアノを弾きながら叫ぶ姿は圧巻だ(笑)ピアノも無茶苦茶上手い、且つ個性的。非常に日本的な情緒溢れる音楽でありながら、西洋音楽的構造において一分の隙もない。ゆるいけど完璧な音楽。これは凄いことだ。


 大貫妙子は矢野顕子と比べるとオーソドックスな路線だが、フレーズの頭をジャストなピッチで入る歌い方が独特。ビブラートなし、フレーズの終わりをばっさりと切る唱法は、これもまた他に例を見ない独自のものである。そもそも母音語の日本語と4、8、16ビートは相性が悪く、歌謡曲がダサい大きな要因となっている訳だが、大貫妙子は母音を切り捨てることで見事にその問題を解消している。矢野顕子も然りで、切る、又はスキャット気味にフェイクすることでダサさから脱却している。


 また、大貫妙子は、アコースティック・アルバム「Pure drops」で聴かれるように、淡々と歌っているようで、そこはかとない切なさを歌に込めるのが上手い。これなど、伝統的な日本人の感情表現のスタイルだと思う。そう、二人とも極めて日本的なのだ。西洋音楽の形式の中で、純日本的なものを表現する。多くの日本のシンガーが、西洋音楽の形式に基付いてアメリカ的な表現に走る中で、二人の音楽の品格は際立って見える。「日本的ジャズ」を考えるヒントも、案外このあたりにあるかも知れない。

「なんぼHP」更新しました。

悩ましいJazz daysに思わずCD購入

トランペット
09 /19 2007
 最近BLOGが一日おきの更新となっていて、個人的には非常に緩やかなペースに感じられる。もともと無理しないのが前提だから、それはそれで良しとして、何でこのようなペースになっているのかというと、トランペットのことを考えているからだ。最近のスランプは本当に目を覆うばかりで、あれこれ吹き方を変えたりしていたらマジでどつぼにはまり込んでしまった。多分ヒステリックに目を剥く最近の片山さつきみたいな形相で練習しているに違いない。そんなこんなで、いつもはBLOGを書く時間を、ネットからトランペットの奏法に関するサイトを拾い上げ、ことごとく読み漁っていた次第。先般も指摘があった通り、アタマで考えることは良くないと分かってはいるのだけど、そういう性分なのだから仕方がない。蓄積した情報を徹底的にアタマで考え、限界近くで湧き上がる直感に期待することにした。そのうち何とかなるさ。


 そういえば先週、HMVのオンラインショップでCDを注文した。今月は市原ひかりといい、近年まれに見るCD購入月間である。注文したのはジャズがトム・ハレルとフィリップ・キャサリーン、ドナルド・ハリソンの4枚と、ガル・コスタの新作、大貫妙子の計6枚。久々に一度に複数枚買ってみた。数年前までは10枚ぐらいまとめて買うのが習慣になっていたので、ちょっと懐かしい感じがする。ここ二年ばかり、わりとストイックに暮らしている(自分だけがそう思っているのかも知れないけど)ので、ちょっと感覚的にやってみようかなと(笑)しかし大阪や岡山までレコードを買いに行っていた時代と比べると隔世の感がある。

皆生温泉の旅館で初舞台

バンド「なんぼなんでも」
09 /17 2007
 人間関係のおいても「なんとなく疲れる相手」とか「会うとハッピーになれる相手」があるように、演奏するハコにも疲れる場所とそうでない場所があるようだ。今日演奏した皆生温泉の旅館は、明らかに後者。演奏そのものはともかく、ハコのムードが凄く良かった。


 そもそも、この旅館のオーナーがミュージシャンなのだ。「山陰の森進一」と呼ばれているように、ホンとに森進一に似た声。弾き語りで歌われるのだけど、凄く上手い。ステージ運びといい、アマチュアの域を超えていると思われる。今日はそんな旅館のロビーで演奏させてもらった。。


 お客さんは宿泊客の皆様なのだが、初演とあってどんなメニューで進めようか迷った。その結果歌物中心で臨んだ。曲はジョビンの「Once I loved」スタンダードの「I remember you」「I cried for you」など。インストで二曲演奏した。でもってMCも頑張ってみたつもりだが最近、MCが辛口だと妻に叱咤される(笑)


 しかしこれはいい勉強になるぞ。お客さんも20数人ぐらいと、某Mより遥かに多い(昨日の某Mの10倍!)おそらくはジャズ・ファンは少数で、みんな夕食を終え、風呂上りのひとときを楽しもうと来た人達であろう。そうした人達にいかに楽しんでもらえるか。人に楽しんでもらえる演奏を考えざるを得ない点で、とても勉強になると思うのだ。やはり演奏者は人に聴いてもらうことが大切。そのために何が必要なのかを学ばないと。


 しかし今回はオーナーの人柄のせいか、場所の雰囲気がとても良かった。気の流れがいいというか。やはり「音楽好き」の方がオーナーの会場は、音楽を招き入れる空気を感じる。演奏後に入った温泉も最高だ。海の見える露天風呂を満喫。次回はもっと思い切って演奏してもいいかも知れない。レベルアップせねば。

ジョー・ザヴィヌルが死んだ

ジャズ
09 /14 2007
 安倍晋三が辞めたのには驚いたが、ジョー・ザヴィヌルが死んだのにはもっと驚いた。一面トップ、と思いきやTV欄裏の死亡記事だった。いやはや、これでウェザー・リポート再結成の可能性は〇%となってしまった。時代は確実に変わってるんだなぁ。


 近年ジャズの巨匠と呼ばれる人たちが次々とあの世に逝ってるのだが、残された巨匠といえば、ジャズ世界遺産のソニー・ロリンズ、動くジャズ伝説のウエイン・ショーター、ジャズ・ゾンビのフレディー・ハバードなどなど、随分と少なくなってきた。あと三十年もすれば、ジャズ自体どうなっているんだろう。マイルスを知らないジャズマンが出てくるかも知れない。ウイントン・マルサリスがバップの始祖などと信じる者がいるのかも知れない。ジョー・ザヴィヌルはワン&オンリーのアーティストだっただけに非常に残念だ。合掌。


 それにしても安倍の降板にも、ザヴィヌルほどではないけど驚いた。「無責任」「意味不明」、はたまた「お坊ちゃん」など、嵐のような非難が浴びせ掛けられている。「お坊ちゃん」って、小泉、麻生、谷垣だって充分にお坊ちゃんな訳で、何も安倍に限ったことではない。TVではいきなり香山リカが出てきて「急に何もかも放り出したくなった心理状態」と状況説明のような分析にならない分析をしていて、思わず笑ってしまった。しかしなんぼなんでも、いくら安倍が無責任とはいっても、今回のように歴史的に語り草になるであろう辞め方をしたことには、どうにも違和感を覚える。このことによって後世に汚点を残すことは明らかで、安倍のようなタイプの人間はそれを人一倍嫌うような気がする。むしろ今辞めなかったら、後々もっと汚点を残すことが明らかになったから、このタイミングで辞めたと考える方が何となくしっくりくる。個人的には。


 そもそもあれだけ次々と現職大臣にスキャンダルが発覚したのも異例。今回の大臣が特段悪だったかといえば、そんなことない訳で、これまでの大臣も似たり寄ったりの中で今回だけ、というのも非常に不自然。リークされまくりと考えるのが自然ではないか。辞職後には石破が例の気持ち悪いやぶにらみを利かせ、さんざんな非難を浴びせていたが、この辺の連中も、事を運ぶに当たって手段を選ぶようなタイプとは思えないので、地雷を仕掛けるのに一枚かんでいるのか知らん。


 驚き、あきれたのが小泉再登板を求める党内若手議員の声だ。いや~先の選挙で大敗して自民党の構造改革路線が否定されたとは思わんのかね。飽くまでも敗北はツキがなかったと考えている彼らの胸の内が透けて見えるようで、失笑を禁じ得ない。どこまでも庶民感覚とは乖離した感覚の人達なのだなぁと、改めて思った次第。

海が見えるテラスから

バンド「なんぼなんでも」
09 /10 2007
大根島




 今週末、奈良県から松江市大根島に移住した知人宅に遊びに行ってきた。以前から思っていたのだが、大根島から眺める中海の景色は最高だ。島全体が小高い丘になっていて、中海の向こうに大山を見渡せる。「こんな場所に住みたい」と思っていたところ、本当に家を建ててしまった人がいるから驚きだ。


 その知人は、年齢は60過ぎで、昨年の定年を機に大根島に移り住んだ。境港市の奥さんの実家を訪問中に、大根島の風景に魅せられたそうで、仏像彫刻を本格的に取り組むためにアトリエ兼自宅となっている。20m前が中海という小高い丘の中腹に建っている。そんな訳で、テラスからの眺めは最高。まるでイタリアの避暑地を思わせるかのような絶景だ。


 夕方から夕暮れにかけて刻一刻と変化する景色は、何時間ながめていても飽きない。地元の住民は「あんな場所に家建てる者なんかいない」と思っていたようだが、建ってしまったので驚いているのだという。う~む、モノの良さとか価値は、近くにいると案外に分からないものなんだな。私もこんな所で一日中楽器を練習したいものだ。

SONYがミドルクラスのデジタル一眼レフカメラ「α700」発表

バンド「なんぼなんでも」
09 /08 2007
ミノルタ35mmF1.4



 ついにSONYの中級機一眼デジタルカメラが発表された。「α700」ミノルタからの伝統でミドルクラスにはナンバー7を冠している。発売は11月16日。う~ん、しかし若干地味な個体という印象か。新開発CMOSセンサーで1224万画素、中央デュアルクロス11点センサー、5コマ毎秒連写、視野率95%、0.9倍の光学ペンタプリズム・ファインダー、防塵防滴などなど、現在私がメインで使用しているα7デジタルと比べると隔世の感があるが、デジタルの世界は日進月歩なだけに、その姿と相まって、やや地味に映る。これで実売12万程度ならいいと思うけど。


 とはいえ質の良さそうな背面の3.0型液晶など使用感は随分といいような気がする。新開発CMOSセンサーの写りも、作例などを見ないと何とも言えない。しかし記録画素数が4272×2848(L)3104×2064(M) 2128×1424(S)とは恐れ入る。センサーの画素数がアップするとデータ量もハンパじゃないな。あと高感度のノイズ処理が注目されるところ。3600が使えるレベルならこいつは大化けする可能性もある。ただ、ファインダー視野率が95%というのが惜しい。ファインダー倍率ともども、もう少し上げて欲しかった。あとダブル・スロットル搭載はいいけど、メモリー・スティックってちょっと意味がないのでは・・ハイビジョン・テレビ「プラビア」との連携も果たしてうけるのか疑問だ。いずれにしても作例を多く見てみたい。


 コニカミノルタがカメラ部門から撤退してSONYが引き継ぐまでは、本当にやきもきさせられた。それでもαマウントを使い続けている理由は、もしかしたら35mmF1.4レンズの描写力に惚れてるからなのかも知れない。広角でありながら柔らかなボケ具合とピントの合った部分の鋭さ。これは傑作だ。撮影することが楽しくなる稀有な一本である。他にも50mF1.4,85mmF1.4,100mmF2,100mmMacroF2,8など、単焦点レンズの出来が物凄くいい。ニコンほどカリカリせず、キャノンほど派手でもなく、柔らかさとシャープさのバランスが程よい。写真は35mmF1.4開放で撮ったもの。あまりいいサンプルじゃないけど。

前回の続き;福祉の現場から

バンド「なんぼなんでも」
09 /07 2007
 前の記事の関連事項なんだけど、福祉の現場というのも想像以上に凄まじい。たまに「利用者を縛って虐待」など施設側の問題がクローズアップされるが、個人的な意見では、誤解を恐れずに言わせてもらうと、こうした事例の少なさが逆に凄いと思う。つまり、縛り付けても仕方のないぐらい過酷な状況の中で仕事に従事しているにもかかわらず、そのような事例は極めて少ないと思うのだ。はっきり言って福祉関係の仕事に従事する職員の人達の努力には頭が下がる。


 いつぞやNHKが、「介護の仕事に就きたいけど生活していけないからやむなく介護職を辞める人達」の特番を放映していた。何だかんだ言っても流石である。おそらくは多くの福祉施設職員の声を代弁しているだろう。意外だけど、この視点に立った報道は極端に少ない。理由は分からない。医療と同様、制度自体が破綻してしまっている。


 制度が破綻したまま放置している上に、昨今の建設業界の凋落。異業種参入ということで福祉施設経営に乗り出す建設業者も多いのだが、果たしてそんなイージーな乗りで立ち行くんだろうか。福祉事業に乗り出した或る建設業者社長は、私に向かって「利用者に長生きされちゃ金にならんよ」と言った。思わずこのおっさん正気かとびびった。コムスンばかりではなく、補助金目当てに施設経営に乗り出す経営者は少なくない。それで利用者が可哀想という話は当たり前であって、報道されるのも、そうした当たり前の話ばかりだ。厳しい経営状況で人員をどんどん削減された中で利用者の世話をする職員の姿はほとんど表に出ることはない。おそらく医師にしてもそうだと思うが、極限の状況で稼動する現場の声は、何故かなかなか伝わってこない。福祉関係の職場の声はまったく伝わってこない。


 「縛って虐待」と聞くとイメージは悪いが、痴呆症状の凄さと、それを最低限の職員で支える現場の凄さを知ると、そのイメージはあまりにも短絡的且つ皮相的であると思わざるを得ない。職員はそれを「生活していけない」ぐらいの給与でこなしているのである。


 それらの危機的状況に比べるとソウル便支援など、お坊ちゃん的発想というか、長閑なものである。医療・福祉の現場は危機どころか崩壊しているのだ。

某ホテルの仕事も入ってきた

バンド「なんぼなんでも」
09 /04 2007
 久々に「なんぼ」ネタ。なにしろ諸事情により、ここ三週は練習に行ってないんでご無沙汰感がある。皆生温泉某旅館のほかにも、某ホテルの仕事が入ってきた。この仕事は実際に「なんぼ」の演奏を聴いて頂いた後に依頼があったので、「演奏を聴いてがっかり」されない訳で、非常に有難い。う~む、期待に応えないとなぁ。


 そんなこんなで個人的には練習を続けている。耳をそば立ててG-、G#-、F#-のロング・トーン。これ、30分もやってると結構応える。スタジオには「55歳から始める楽器」といった内容のチラシが貼ってあるけど、55歳で始めるトランペットは、体力的にかなりキツイのではないか。体力よりも集中力の点でキツイかも知れない。


 そう言えば先日「人が注目するようなことをやってていいですね」と言われて、そんなもんかなと思った。いちおうジャズ・バンドなんかをやってるため、人前で注目を浴びる機会は多いのだが、恥を晒す機会も多いのである。聴いてる人の顔ぶれによっては妙に緊張してしまう場合だってあるし、ステージは一筋縄ではいかないですな。


 先日の境港「ミラージュ」がちょっと厳しかっただけに、温泉では何とかリベンジを図りたいものだ。などと、とりとめのないことを書き連ねてしまいました。(> <)

CD-Rが再生されない場合に御用心

ジャズ
09 /03 2007
 昨日は知人の結婚式パーティーに出席してきた。「何か一曲」ということだったので、とても素敵なアレンジのマイナスワンCDから「My foolish heart」を選んで行ったんだけど、な、なんと、店にあるCDプレーヤーではCD-Rが再生できなかったのである。がーん。


 いやはや、恐ろしい。満を持してスタンバってたのに、CDがかからない。焦りましたよホントに。。といっても今さら演奏を中止にするムードではなく、やむを得ず無伴奏ソロの荒技を披露してしまった。曲も「My foolish heart」から「My one and only love」に変更。急遽吹いた。出来は?なんて聞かないでほしい。動揺でがたがた。しーんと皆様が見守る中のソロってか。


 この極限状態の中、凄い演奏ができれば大したものだ。もちろん私には出来なかった。自分でもイマイチ何を吹いているのかも分からない。AABAのテーマのA三回が百回ぐらいに感じた。とりあえず大きな拍手は頂いたものの、どっと冷や汗が出たよ。


 このブログを読んでおられる皆様も、CDをバックに演奏される際には気を付けて下さい。自分のプレーヤーじゃない場合は、くれぐれも店に事前に「CD-Rは再生できますか」と確認しておいた方がいい。演奏の失敗にこっちは慣れていても、その場に居合わせた人たちにとっては、一回ぽっきり。取り返しがつかないという教訓。

前向きなパワーのある人と付き合うこと

日常のこと
09 /02 2007
 今日は「なんぼ」のメンツ4人で、皆生温泉の某旅館に行ってきた。今後演奏でお世話になるということで下見がてらに旅館当主の宿泊客を対象にしたライブに行ってみたんだけど、当主の歌の上手さに唖然。弾き語りで約40分のステージだったが、これだけ「聴かせる」弾き語りのできる人は山陰ではなかなかいないだろう。これは凄い。


 で、その後ビールを飲みながら色々と雑談をしたんだけど、本当に音楽好きなんだなと思った。温厚で品があり、尊大でなく、フランクに音楽を語る。こんな大人が増えれば世の中はもっと素敵なものになるんだろうな。最近「なんぼ」が出入りする「成田屋」「キャリー・リー」のマスターにしても、根っからの音楽好きで、接しているとこっちまで楽しくなってしまう。音楽を通して地元のこうした人達と出会えるのはラッキーなことだ。


 来週は妻と大阪から大根島に移住した仏師の家に遊びに行く予定。日々を楽しんでいる人に接するとパワーを貰えることに最近気付いた。特に最近の私は、そうしたパワーに敏感になっているせいか、日常を楽しんでいる人に親近感を覚え、仲良くなったりする機会が多い。実はこれはとても大切なことではないかと思い始めている。


 多分、人間、マイナスのパワーが渦巻いている環境に身を置くと、知らず知らずの間にマイナスの影響を受けてしまう。自分の思考もマイナスになってしまうのだ。例えば愚痴しか出ない会社にいると、いつの間にか愚痴を言う自分になってる、みたいな。そういう中では気付かないのだけど、とんでもなくパワーを吸い取られているのではないか。そこで、自分の身を置く環境を考えるのが、より良く生きる上で非常に重要なことではないかと考えるようになった。「知らず知らずのうちにパワーを吸い取られていること」。これは怖い。


 逆に、普段楽しんで生きている人って少ないんだなと感じる。楽しんで生きてない人は、やはり他人が楽しく生きることが許せないので、無意識的に相手を自分のつまらないレベルに陥れようと考える。その結果愚痴を言ったり、文句を言ってみたり、負のスパイラルに他人を陥れようとするのだ。ところが、楽しんでいる人は自然体で、接する相手に負荷を与えない。気付いたら、こっちまで元気になっているという感じだ。


 負のスパイラルには関わらず、パワーのある人と付き合う。自分をそんな環境に置くことが生きる上で非常に重要なのではないかと、最近思い始めた。ということは、そうした人と知り合うように積極的に自分も動くということが前提なんだけど。

jazz bird

ライフワークはジャズ・トランペット。好きなトランぺッターはトム・ハレル、チェット・ベイカー、パオロ・フレス、市原ひかりさん、山本ヤマさんetc.夏の海が好き。