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ジャズのフォームについて

ジャズ
05 /09 2007
 NHK教育テレビで8日から4週にわたり毎週火曜日に、私のこだわり人物伝―マイルス・デイビス 帝王のマジックという番組が放映される。普段ほとんどテレビを観ない私だが、菊地成孔のマイルス・ガイドとあって思わずチャンネルを合わせる。菊地のちょっとくだけた、それでいてきちんと本質を押さえたコメントが面白くて、あっという間に時間が過ぎた。その中で「ビ・バップはスポーツ」という比喩が可笑しかった。「スポーツだから譜面なんて見ない。コード譜を見て演奏する」と。

 ジャズの歴史書などによると、ビ・バップはあたかもスウイング・ジャズの発展形であるかのような印象を受けるが、ビ・バップ出現当時、この二つの音楽を同じ「ジャズ」でくくれる人はおそらくいなかったんじゃないかと思う。今にして思えば突然変異と言ってもいい。どっちが良い、悪いではなくて、形式の洗練度という点ではビ・バップの方が遥かに高く、それどころかビ・バップはジャズの即興演奏フォームの最終形と言っても過言ではない。これを一人で創造したんだからチャーリー・パーカーはやっぱり凄い。お陰でジャズは40年代の十年間で一気に音楽的頂点を迎えてしまった・・・というのは大袈裟だが、ジャズ的なものの8割はチャーリー・パーカーの出現でやり尽くされた感がある。残りの2割をやり遂げたのがマイルスだろう。この二人が本当にジャズをやり尽くしてしまったので、必然的にマイルスはジャズ以外の、マイルス・ミュージックとしか言いようのない音楽を追究していくようになる。マイルスはジャズにかかわった期間より、マイルス・ミュージックにかかわった期間の方が長いアーティストだった。

 話を元に戻すと、ビ・バップのプレーヤーがテンポ300などと超激早なテンポで演奏できるのも、そこにきっちりとしたルールがあるからだ。厳格なルールに従って運指の速さや正確さを競い合うところなど、まさにスポーツだ。ルールが洗練されているからこそ、どんな人でも参加できる形式美はあるが、チャーリー・パーカーが恐ろしいのは、技術的な合理性の中に閃きがある点である。例えば、一般的には全盛期を過ぎたといわれる頃のヴァーヴ盤「Now’s the time」の中の「Confarmation」のアドリブはどうだろうか。興が乗ってきた2コーラス目のサビのフレーズなど、まさしく天才の閃きだろう。個人的には案外とヴァーヴ期のパーカーが好きで「With Strings」の「Just friends」も、ちょっと異常なぐらいの歌心だ。こうなると練習云々の話ではなくなってくる。パーカーにしか創造できない音楽なんだなと納得せざるを得ない。50年代のいわゆるハード・バップは、基本的にはビ・バップと同じ。ビ・バップがスポーツに傾き過ぎた反省を踏まえ、テーマのアンサンブルなど、やや音楽に立ち返ったのがハード・バップか。 

 話は急に変わるが、「なんぼ」で「椰子の実」を採り上げたのは、ジャズ即興のスポーツ性を極力排除したかったからにほかならない。しかも、イントロ部分ではハーモニー的な制約も極力無くした。「海を漂う椰子の実の雰囲気を音でどう描くか」がコードの代わりとなるガイドという訳だ。そもそも何で12音階なのか。そもそも音楽が12音階で済むはずないだろうと思う。それは飽くまでもルール上の問題である。調性音楽である以上、何らかのルールを必要とするのは仕方ないが、その合理的なものの一つに12音階の概念があるに過ぎない。絶対的なものではないはずだ。そんなこんなで、ジャズのフォームについて、つらつらと書き連ねてみた。
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コメント

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どんなスポーツでも、走れないとできないように、どんなJazzでも基礎部分にはバップがあるのではないかと思う今日この頃。まあ、その、体力的な個人差とかはあるにせよ。

jazz bird

ライフワークはジャズ・トランペット。好きなトランぺッターはトム・ハレル、チェット・ベイカー、パオロ・フレス、市原ひかりさん、山本ヤマさんetc.夏の海が好き。

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