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瞑想と音楽

その他
08 /25 2008
 音楽をやる人というのは何故音楽をやるのだろうか。一般的に「楽しいから」と思われがちで、だから「楽しそうにやりなよ」とか言われる訳だが、普通に考えて、楽しいだけで音楽をする人は居ないのではないかと思う。

 

 

 意識・無意識の違いはあっても、少なからず、何か普遍的な繋がりを求めて音楽に向かうのではないかと思う。何故ならば音楽の三要素と言われるリズム、メロディー、ハーモニーがすべて普遍的であるからだ。この普遍性を自らの中に求めることが音楽を演奏する理由であると、個人的には考えている。人間の本来の欲求と言ってもいい。ジャズマンがしばしば宇宙を語るのも、普遍性を求める証だろう。もちろんジャズに限らず、あらゆる芸術に当てはまるのだと思う。

 

 

 僧侶などが荒行によって瞑想を深め、普遍性を見出す過程は、ジャズマンが猛練習によってある境地に達する過程と同一だ。練習=修行という意味で、ジャズ・ギターの巨匠パット・マルティーノが「ジャズは修行」と語ったのはまったくその通りだ。人は楽しいだけでは音楽は続けられない。ジャズを志す人は多く、その大半がすぐに挫折してしまうのだが、長続きするのに必要なのは、楽器の上手い下手ではなくて「普遍性に触れたい」と感じる資質だろう。

 

 

 瞑想の基本は、一点をじっと凝視することにある。例えば壁をじっと見つめる。大抵の人は、じっと一つのものを数十分も見つめ続けることができない筈だ。一点に集中して見つめ続けていると、視覚だけに意識が集中し、他の感覚が消え去って行く。聴覚、臭覚、味覚、触覚が消え去り、視覚だけが覚醒しているような状態。この状態から、さらに、視覚をも消し去ってしまう。普通、これは眠りに就いている時の状態だが、それでなお且つ覚醒している状態が瞑想状態である。修行僧はこの時、内なる声を聞くのだという。

 

 

 普通の人でも、或ることを集中して考えていたが解決策が浮かばず、「ま、いいか」と考えを無意識レベルにまで下げた時に、ふとイメージが閃くことがある。その状態を意識的に作るのが瞑想である。本来、人間は普遍性と繋がっているのだが、後天的に育んだ思考が繋がりを阻害しているらしい。そうした本来の状態を求める本能があるため、いつの時代でも芸術の必要性は失われることはない。余談だが、生きる意味というのも、そうした普遍性に繋がることにあるのではないかと個人的には考えている。死した後の魂は、それ自体が普遍的であるがため、繋がりを疑う余地はない。それならば現世を生きる意味は肉体に宿った魂でしか味わえない繋がりというものがある筈だ。音楽もその範疇に属し、死後の魂には音楽それ自体が必要なものではないだろう。

 

 

 ある時期のチャーリー・パーカーなどは、瞑想状態で演奏していたものと思われる。「どんなこと演奏してたっけ?」と、演奏後に言う人はあまり居ない。聴覚一点に集中し、さらにその聴覚さえも消し去り、眠っているんだけどはっきり覚醒している状態で演奏していたのだろう。薬の力を借りていたとはいえ、相当な集中力だ。過去の練習で集中力を養ったのかも知れない。

 

 

 我々アマチュア・ジャズマンがどんなに頑張ってもパーカーのような演奏はできないが、方法論としての集中力は重要な部分だと思う。例え一瞬であっても、普遍的なものと繋がれば、その演奏は大成功だろう。自分の技術が最大限及ぶ範囲で繋がれば、それでいいと考える。「持っているものしか出ない」とはよく言われる。それは事実だろう。しかしながら、自分が何を持っているのかを正確に知っている人は殆どいない。なので、殆どの人が自分が持っているものを出し切れず演奏を終える。「自分の限界を超える」というよりも「自分の既成概念を打ち破る」と言った方が正しい。そのためには無意識にまで感覚を落とし込み、そこで拾ったものを意識的にアウトプットする過程が非常に有効だと思う。簡単じゃないけど。

 

 

 

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コメント

非公開コメント

No title

これまで「音楽(演奏)」=「楽しいこと」の公式で語られるたびに、なんだかよくわからないもやっとした違和感を覚えていたのだが、なるほど、これだとそこの部分の説明がつくではないか。
まあ、個人的にはいろんなストレスも多分にあるので、それ故「楽しさ」が半減しているのではないかと言われればそれも当たっているかもしれないが…

音楽の場合の楽という字は、楽しいというより神楽などの楽でしょう。
そもそも楽という字が木の上で太鼓をたたいている姿を現していて、まさに祭り。
つまり神に捧げるものなので、必ずしも楽しいわけではないです。
一番嫌なのが、ライブに来ないくせに『演奏楽しんでください』といわれる事。v-76
こっちは真剣なんだぞ…と。

またまた、なるほど

私としては「楽しんでください」よりは「頑張ってください」の方が、心にフィットしますね。
そういえば不思議なもんで、「楽しんでください」と言うのは、まず間違いなく楽器やる人なんですよね。
だから、演奏者はみんな普通に楽しんでやっているのだと思っていました。・・・

No title

 神楽の楽、確かにその通りですね。元々音楽のルーツは宗教的儀式にあると言われています。神とは即ち「普遍的なもの」の象徴ですね。なので、一般的な「楽しさ」で語ってしまうと、大いに違和感を感じてしまいます。そうした普遍性を共有する場がライブである訳で、真剣にならざるを得ません。何故ならば、共有すべき物を創り出さないと、極めて個人的な営みで終わってしまうからです。その個人的営みに文化とか地域貢献とかの大義名分を付けるパターンも多いのですが、個人的には好みではなく、そんな暇があったら練習しなよと、思っても言わないけど(笑)

No title

 楽器やる人の場合、苦しさも分かるのであえて「楽しんで」というのかも(笑)

jazz bird

ライフワークはジャズ・トランペット。好きなトランぺッターはトム・ハレル、チェット・ベイカー、パオロ・フレス、市原ひかりさん、山本ヤマさんetc.夏の海が好き。

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