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米子市音楽祭、終わりました

バンド「なんぼなんでも」
06 /08 2009
 恒例の米子市音楽祭の「なんぼ」のステージが何とか終了しました。応援して下さいました方々、会場で声を掛けて下さったお客様に感謝を申し上げます。

 

 

 結果は・・いやいや、今回については結果は考えないようにしています。良いプレーができたかどうかはさておき、とりあえず「終わった・・」という感じです。直前に起こった不測の事態のため、本番出演が危ぶまれた(個人的にです)せいもあって、とにかく無事に出演できたことが嬉しい。年に一度のステージ。そこそこ準備を重ねて当日に備えていますので、終わった後は、ただただ燃え尽きました。疲労と言うよりも、燃え尽きたという表現がしっくりきます。

 

 

 私のように仕事を持つジャズマンにとって、最も恐れることは、本番当日に不足の仕事が降って沸くこと、です。マジで恐い。何しろ例えその場で辞表を出したとしても、当日内に辞めることはできない訳ですからね。演奏が仕事よりも大切、と言い切ってしまうと眉をひそめる方もいらっしゃるかも知れませんが、思い入れが違うのは否定し難い事実です。なので、先週は鬱々としていましたが、それだけに、ステージに立てて良かった。有り難いことです。

 

 

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コメント

非公開コメント

No title

お久しぶりです。米子市音楽祭お疲れ様でした。
時間外の呼び出し…。その気持ちよく分かります。
最近は鳥取でも物騒な事件もあり大変そうですね。

報道といえば、今回の「新型インフル」には心底驚かされました。ここでは到底書ききれないですが、国家をあげた(?)情報操作がここまで行えるとは思ってもいませんでした。強毒性のウイルスが流行した時はもう見守るしかありませんね。今回の騒動の問題点すら考察出来ない(しない?)報道機関はどうなっているのでしょうかね。やはり、「広告主」がいるかぎりまっとうな報道は無理なのでしょうか。

かつて芥川が「危険思想とは常識を実行しようとすることである」と言ったのを思い出す。

お久しぶりです

 考えてみればTomさんと出演したのが市音初ステージだったような気がします。懐かしいですね。

 新型インフルのメディアの報道合戦は「また始まったか」という感じでした。「他の同業メディアが報道したら報道し返す」という横並び体質は、もはやメディアの病理としか言いようがないですね。若い方はその病理にとっくに気付いていますが、メディア内部の方は「気付かれている」ことに気付いてないようです(そこが病理たる所以ですが)。でもって、再販制度の保持や電波の使用許可に関する権限は国が握っている訳ですから、必然的に国に情報統制されざるを得ないシステムになっていると言って差し支えないでしょう。

 最近はまったくTVを観なくなりましたが、困ることはまるでなく、むしろ不快にならずに済んでいいかなと思っています。

No title

 市音初ステージ今でも覚えています。あの時、大分年上だった共演トランペッターの歳を、今私は遥かに超えてしまっております。


 上述の新型インフルエンザに関して思うことを少し(?)。

 新型インフルエンザの診断には、咽頭よりめん棒で採取したサンプルを迅速診断キットでA型かどうかを判定する。A型でも通常の「季節性インフルエンザ」と区別がつかないので、新型インフルエンザの遺伝子が入っているかどうか「PCR」という検査で確認する。この「PCR」検査は国立感染症研究所などの国の検査施設で行われる。

 上記が診療における大まかな流れである。今回の件で下記の点を報道しないのは何故か。


1. 兵庫、大阪では「海外渡航歴のない」人もPCR検査を行い、それ以外の県では「海外渡航歴のあるひと、もしくは濃厚接触者」のみPCR検査を行った。少なくとも本年5月上旬までは。当然、PCR検査をしなければ新型と「診断」されるひとは出るはずもなく、この検査段階での違いを頑なに公にせず、「関西でまん延。関東では海外帰国者のみ数人。」と平然と報道している。

2. インフルエンザの迅速キットが陽性と出るのは発症24時間程度がピークで、それより早くても、遅くても検出率が低くなることは、毎年のインフルエンザ検査で医療関係者は周知の事実である(今回の新型インフルエンザでも同様の結果であったことを先日、国立感染症研究所が発表した)。実際、患者が発熱する前(潜伏期間)より他人への感染能力があり、この点も含めて空港での水際対策は、あくまで国内への新型インフルエンザ侵入の指標的意味合いのほうが大きい。当然、空港検疫を通過する感染者は多数いる。この状況下で「海外渡航歴、濃厚な接触」を基準に、医療機関からのPCR検査要望すら保健所は断ってきた(現在は、「国内発生」を認め検査基準は緩められている)。神戸の保健所はかつて気骨のある人が多いことで有名だったそうである。そして、この国の指針を無視して、ある開業医のPCR検査依頼を引き受け、「新型」の国内発生を発見した。この当り前すぎる事実を伝えない。


 今回は「弱毒性」とのことで(もしくは風評被害による経済へのダメージがあまりにも大きいから?)、手のひらを返したように報道されなくなってきている。思うに、「過剰反応」は仕方ないとしても、上述の事実を伝えるべきではないだろうか。関西だけやり玉にあげるのはあんまりである。今回我々が行わなければならなかったのは、「強毒性」のインフルエンザに備えた対応をとるための「疫学データ」(つまり、感染者の侵入経路、感染地域の広がり及び、その広がる速さを確認し、その抑止に有効な手段があったのか、なかったのかを検証する)を得ることであった。しかし上述のような有様である。「騒ぐ、騒がない」といった次元の話ではない。


 結局、関西では「発熱外来」はパンクして、一般医院でも診察することとなった。それはそれで良いが、感染力が強い「強毒性」のウイルスが発生した時、今後どう対応するのか全く議論されない。恐らく次に「強毒性」のインフルエンザが発生しても、同様の対応をとるのであれば国内発生ゼロから、急に多数の感染による死者発生、となるのは必至である。

 過剰反応かどうかということではなく、報道の内容と質の低さこそが致命的である。世界的な科学雑誌「ネイチャー」の5月号では「Between a virus and a hard place」と題して、「新型インフルエンザへの迅速な対応は過剰などではなく、甘く見ることのほうが危険であり、予測不能な事態を想定すべきである」と警告している。今回、日本は何を学べたのであろうか。是非とも「冷静に」対応して頂きたいところである。

No title

 非常に分かりやすい説明で、各メディアにも採り上げてほしいものです。「冬に強毒性に変異する可能性は高い」との見解も出ており、そうなった場合どうすればいいのか、きちんとした指針が示されていないことが怖いですね。本来、国の水際対応の甘さを追及するのがメディアの役割ですが、どうにも目の前にある事象に踊らされる傾向にあるようです。「患者が出た、出ない」が最優先事項となって
しまっていて、政治についてもそうですが、政局優先で政治の中身については、小泉改革の総括すら未だになされていません。井戸端会議の延長。そんな言葉が思い浮かびます。検証力がないというか意図的に検証しないのかは分かりませんが、被害を被るのはいつも市井の人達です。

No title

「被害を被るのはいつも市井の人達」

そうなんです。いつも思うのですが、とにかく誰か死者が出ないと動き出さないんですね。食品、公害、過労死、医療、いじめ問題などなど前例は枚挙に暇がありません。でも、最初の一人は確かに死んでしまうのです。例え一人といえども、かけがえのない命なわけで、気の毒でなりません。

我々は過去の歴史を知ることができ、さらに統計学的な処理も含め非常に多くのことを予測することすら出来る。科学、文明は何のためにあるのでしょうか。文字、マスコミは何に使われるべきなのでしょうか。一人くらい死んでもいいとはどうしても思えません。

jazz bird

ライフワークはジャズ・トランペット。好きなトランぺッターはトム・ハレル、チェット・ベイカー、パオロ・フレス、市原ひかりさん、山本ヤマさんetc.夏の海が好き。

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