スポンサーサイト

スポンサー広告
-- /-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アートの原点に立ち返る

その他
01 /29 2014
 音楽は反体制じゃないと育たないというのが私の持論です。音楽に限らず芸術はすべてそう。ジャズ新伝承派として1980年代に華々しい活動を展開したウイントン・マルサリスは確かに超絶に巧いのだけれど、一つ前の世代のフレディー・ハバードやウディー・ショウ達と比べると心に刺さらない。超アップテンポの「ドナ・リー」をむちゃくちゃ端正に演奏されたりすると「ああ、巧いなー」とは思うけど、それ以上の感動には至らない。同じ超テクニシャンであれば、イタリアのトランぺッター、ファブリッツイオ・ボッソの方がいい。
 

 なんで本家のアメリカ黒人ジャズの方が刺さってこないのか。やっぱりそれは、反体制ではなくなったから、だと思う。マイルス・デイヴィスのように「バードランドの外でタバコをふかしていたら白人警官に突然ぶん殴られた」とか、リー・モーガンのように「ジャズ・バーに出演中に彼女に頭を撃ち抜かれて死ぬ」とか、そんな連中が現役だった時代には、音楽自体に非常に刹那的な魅力というか、「糞ったれ!」みたいな情念がジャズという音楽に昇華され、数々のスリリングな演奏を生み出していた訳ですよ。

 
 その点、ウイントン以降の世代は、もちろん警官に殴られるとかあからさまな人種差別はさすがになくて、クラシックもきっちり学んだエリートがジャズに取り組んで、黒人のルーツを探るといった、学究的な雰囲気が強く漂っていた。ジャズはある意味伝統芸能として確立され、音楽史にも確固たる地位を築き、既に体制的な音楽になっていたのだ。だから一般にも普及し、スイング・ガールズが演奏することが可能になった。

 一方、ジャズ以上にマイナー音楽ながら、カフェや雑貨屋でBGMとして流れている確立が高いボサノバという音楽も、考えてみたら何でBGMとしてよく流れているのか不思議に思う。多分、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンの名前を知っている人はいても、エリス・レジーナやナラ・レオンも名前を知っている人は余りいないだろう。国内では小野リサが出現するまでは、ボサノバなど本当に一部愛好家の音楽に過ぎなかった。

 ジャズのルーツはもともと奴隷としてアメリカに連行されたアフリカ黒人にあるとされ、演奏者は黒人で、差別の対象にさらされていた。しかしボサノバは創始者と言われるトム・ジョビンやジョアン・ジルベルト、カルロス・リラ、ホベルト・メネスカスあたりは中産階級以上の富裕層。牧歌的な雰囲気と洗練された和声感覚がそうした出目をよく表している。

 その坊ちゃんや嬢ちゃんの音楽だったボサノバも1964年のブラジル国内での軍事政権樹立によって、次第に反体制に先鋭化した音楽へと変貌する。カエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタあたりの世代は一般的には「ムジカ・ポピュラール・ブラジレイラ(MPB)」のカテゴリーとして認識されているが、ボサノバの要素を受け継ぎながらブリティッシュ・ロックやサイケ、ジャズの要素を採り入れ、非常に多様性のある音楽に変貌。同時にグローバル化を遂げていった。

 やはり反体制の時代を経てきた、ということで、かつて音楽は反体制の象徴的な表現手段だった。今、音楽が力を失ってしまったのは、商業に染まり過ぎたことが要因なのではないか。「アートは金にならない」と言われつつも、事実は結構金になって、すっかり資本主義経済システムに取り込まれているのだ。

 最近は音楽ビジネスもすっかり進化して、コンテンツ・ビジネスの中核の位置づけとして音楽が存在しているような様相を呈している。私はアートはアートとして考える人種で、本来アートは極めて精神的なものと思っているので、ビジネスとアートは背反する、という過激な思想を持っている。

 現在、これだけ拝金主義がまかり通ると、アートは軽視されがちな部分もあるが、結局、人間が人間らしく生きるという考えに立ち返る時が時代の節目で来れば、アートの思想が世界を変え、社会を変革へと向かわせる原動力になるのだと私は思っている。反体制というのは、つまり自由を欲する人間の本能である。人間はすべからく自由であるべきで、愛国心の強要などもっての他だ。アートの価値が試されている。

 

 
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

jazz bird

ライフワークはジャズ・トランペット。好きなトランぺッターはトム・ハレル、チェット・ベイカー、パオロ・フレス、市原ひかりさん、山本ヤマさんetc.夏の海が好き。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。